根本通明イエマイル
- 2020/03/14
- 10:46
庵主が秋田出身で明治期易学界に君臨せられた羽嶽根本通明先生に心酔している事は古くから拙ブログをお読みくださっている読者諸賢なら良く御存知の事と思うが、少し前、この通明翁のイエマイルを行ったのでご紹介したい。
ちなみに、面白い事だが、刈和野にある生家跡には蒼流庵随想初のキリ番プレゼントをゲットした御仁の御親類が現在住まわれているという話だ。
今回イエマイルを試みたのは、上京して一世に鳴る大家となり、晩年を過ごされた場所で、明治34年発行の『周易象義弁正』首巻の奥付に、
「東京府士族 根本通明 東京市小石川区指ヶ谷町百四十番地」
とある。
都立図書館にレファレンス依頼を出して関係資料を調査してもらったところ、『東京市小石川区全図 明治29年10月調査』(東京郵便電信局編)の中央右端に指ヶ谷町140番地が記載されており、近くにある「蓮華寺」「厳浄院」の場所を頼りに、現在の地図と対照した結果、指ヶ谷町140番地は、現在の白山1丁目21の近辺に当たるとの回答を得た。
予想通りだが、現地入りして眼前に広がる光景は、ありふれた平凡な東京の下町のそれであった。
ただ、地図を眺め見て、通明翁晩年の門人である公田連太郎先生が参禅した南隠全愚老師(1834~1904)の白山道場龍雲院が、ここから僅か200mほどの場所に位置している事に気づいた。
それだけの事ではあるが、私には何か感慨深いものが感じられる。
なお、南隠禅師は、明治期の傑出した禅僧として非常に高名な人物らしいが、若い頃広瀬淡窓に就いて学ばれた事があるという。
ちなみに、面白い事だが、刈和野にある生家跡には蒼流庵随想初のキリ番プレゼントをゲットした御仁の御親類が現在住まわれているという話だ。
今回イエマイルを試みたのは、上京して一世に鳴る大家となり、晩年を過ごされた場所で、明治34年発行の『周易象義弁正』首巻の奥付に、
「東京府士族 根本通明 東京市小石川区指ヶ谷町百四十番地」
とある。
都立図書館にレファレンス依頼を出して関係資料を調査してもらったところ、『東京市小石川区全図 明治29年10月調査』(東京郵便電信局編)の中央右端に指ヶ谷町140番地が記載されており、近くにある「蓮華寺」「厳浄院」の場所を頼りに、現在の地図と対照した結果、指ヶ谷町140番地は、現在の白山1丁目21の近辺に当たるとの回答を得た。
予想通りだが、現地入りして眼前に広がる光景は、ありふれた平凡な東京の下町のそれであった。
ただ、地図を眺め見て、通明翁晩年の門人である公田連太郎先生が参禅した南隠全愚老師(1834~1904)の白山道場龍雲院が、ここから僅か200mほどの場所に位置している事に気づいた。
それだけの事ではあるが、私には何か感慨深いものが感じられる。
なお、南隠禅師は、明治期の傑出した禅僧として非常に高名な人物らしいが、若い頃広瀬淡窓に就いて学ばれた事があるという。
スポンサーサイト