大慈院後藤艮山一族墓所整備なる!
- 2020/04/13
- 18:26
上品蓮台寺大慈院墓地
昭和の一時期、江戸時代の先学先賢を顕彰する或る種のブームに沸いた時代があって、安岡正篤氏が関係した事業が多かったと聞いているが、医学分野では矢数道明先生が積極的に働きかけられ、漢方医家の墓所整備や顕彰碑建立があちこちで行われた。
もっとも、最近では旗振り役の不在に各団体における財政状況の悪化、加えて目ぼしい人物は既にあらかた手が付けられた事もあって、あまり類似の顕彰事業は行われなくなって来ており、関東では六年前の尾台榕堂住居跡碑を除けば、他にはコレといって思い浮かぶものがないようだ。
それに引き換え、かつてのブームが関東中心だった事もあるのか、最近では2010年の小野蘭山顕彰碑、2015年の華岡流外科顕彰碑、2018年の各務文献先生墓所碑と、むしろ関西の方が勢いがある。
そして今度は、紫野の古刹上品蓮台寺にある後藤艮山一族の墓所整備と顕彰碑建立が行われた。
艮山が一族の墓所はもと同寺の普門院墓地にあったが、廃仏毀釈の後、いつの頃にか、南の大慈院墓地に移転され、その際の移転が若干乱雑であった為に、同族の墓碑がバラバラの位置に散在する事になってしまったらしい。
また、山本東海の『平安名家墓所一覧』や寺田貞次『京都名家墳墓録』が記す後藤氏の他の墓碑は、比較的最近になって行方不明になったものもあったらしく、その辺りの事情は今井秀先生の「後藤艮山を始祖とする「医家後藤家」の系譜と墓所の現状」(『漢方の臨床』最新号)に詳しいが、実は昨年から、整備事業が密かに計画遂行されており、先日、無事全ての作業を終え、開眼供養を挙行する事となった。
碑文は日本医史学会関西支部の今井秀先生(今井整形外科)作成の原案に、同支部事務局長の田中祐尾医学博士(医療法人田中医院)と不肖蒼流庵主人が加わって撰文。
和歌山の華岡家墓所に倣って各墓碑の配置図が作成されたが、右奥の宗山正英のみ医家後藤家の系図中、何処に位置する人物であるのか確認出来ていない。
開眼供養の当日は、鍼灸の大家で医史学に精通されている猪飼祥夫先生(昨年庵主の差し入れたスッポンに指を噛まれて負傷)が駆けつけてくださったものの、残念ながら田中祐尾先生は病欠となった。
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