ビブリオバトル
- 2020/04/25
- 11:11
この何年かで、ビブリオバトルについて新聞などでも盛んに目にするようになった記憶があるが、Wikipediaによると京都大学から広まった輪読会をこのように呼ぶらしく、読書会の一形式という事であるようだ。
このビブリオバトルというものの存在を教えてくれたのも、先日事業占を依頼して来られたO氏だったように思うが、確かあれは氏がエンジニアとして深圳に滞在しておられた頃だったから、かれこれ10年ほど前の事であろうか。
其の少し後あたりからブームに火が着いたらしく、あちこちで開催の情報を目にするようになって、私も興味本位で一度だけ近隣の大学図書館で開かれたのを聴講した事があるのだが、どうも個人的にあまり相性の良くない形式のように思われ、以降一度も足を運ぶ事が無かった。
二十歳前後の若い世代の読書趣味におけるジェネレーションギャップに加え、取り上げられたのが縁遠い文芸書ばかりであったという事も作用しているに違いないが(ここ十年新刊の文芸書で手に取りたいと思ったようなものはただの一冊も無い)、やはり一番には所詮読書という内的な体験を公衆の面前で発露しようという事に違和感を感じたからだろうと思う。
勿論、ブログ等で書評めいた事を書くというは、私自身もやっている事なのであるが、これは孰れかと言えば、内的な作業であって、公の場でしかも採点を伴うバトル形式の催しとは全く性格を異にするものだろう。
少なくとも自分は判る人だけ判ってくれればいいというスタンスであるけれど、バトル形式は判らない人に如何に判ってもらうかという作業であるからだ。
そういえば、以前にこんな記事を書いた事があったが、結局のところ結論は同じであると言って良い。
このビブリオバトルというものの存在を教えてくれたのも、先日事業占を依頼して来られたO氏だったように思うが、確かあれは氏がエンジニアとして深圳に滞在しておられた頃だったから、かれこれ10年ほど前の事であろうか。
其の少し後あたりからブームに火が着いたらしく、あちこちで開催の情報を目にするようになって、私も興味本位で一度だけ近隣の大学図書館で開かれたのを聴講した事があるのだが、どうも個人的にあまり相性の良くない形式のように思われ、以降一度も足を運ぶ事が無かった。
二十歳前後の若い世代の読書趣味におけるジェネレーションギャップに加え、取り上げられたのが縁遠い文芸書ばかりであったという事も作用しているに違いないが(ここ十年新刊の文芸書で手に取りたいと思ったようなものはただの一冊も無い)、やはり一番には所詮読書という内的な体験を公衆の面前で発露しようという事に違和感を感じたからだろうと思う。
勿論、ブログ等で書評めいた事を書くというは、私自身もやっている事なのであるが、これは孰れかと言えば、内的な作業であって、公の場でしかも採点を伴うバトル形式の催しとは全く性格を異にするものだろう。
少なくとも自分は判る人だけ判ってくれればいいというスタンスであるけれど、バトル形式は判らない人に如何に判ってもらうかという作業であるからだ。
そういえば、以前にこんな記事を書いた事があったが、結局のところ結論は同じであると言って良い。
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