有難きかな図書館
- 2020/05/01
- 18:24
一昔前とは打って変わって資料へのアクセスのし易さが格段に良くなった現代、研究者の居住地によるハンディは非常に小さなものになったと言える。
かつては地方在住の場合、どうにも手が出せない資料だったものが、現在ではデジタル公開されて、ネットにさえ接続していれば、簡単に全文を調べる事が出来る、というような事例は枚挙に暇が無い。
特殊な媒体に発表された論文でも、国会図書館の遠隔複写サービスを利用すれば、一週間程度で手元に届き、煩わしい紙媒体の複写作業も専門の職員が一枚僅か13円の手数料で肩代わりしてくれるというのだから、まさに座りし儘に食らう徳川と言ったところだろう。
研究者は、大学図書館などと比べて、街中の公立図書館を利用する機会は一般に少ないと思うが、コロナ騒動以降、普段孰れかと言えば格下に見ていたところのある地元図書館の有難みを痛感するようになったという声がチラホラ聞こえてくるようになった。
かく曰う庵主もその一人だ。
それは、国会図書館の図書館送信資料の閲覧端末が利用出来ない点で、庵主の住む大阪は緊急事態宣言の出る以前から図書館が閉館してしまって、ほとほと困り果てている。
一般の図書館利用者には判って頂けないかもしれぬが、論文を書く時に、書物の僅か一か所一行を覗き見て確認するという作業が必要になる事はそれこそ研究者には日常茶飯で、この一行の覗き見が出来ないだけで提出がそれだけ遅れてしまうから、これは大ごとなのである。
研究者にとって図書館というのは、暇つぶしの書物を貸し出してくれる機関ではなく、恐らくは生涯に渡ってそうそう出番はない為に態々購入するには及ばぬものの、一度か二度は必要に迫られて開くという書物を渉猟する為の場所なのであり、この目的が長期に渡る(それも先の見えない)閉館で遂げられないとなると、知的生産活動は一気に停滞することになる訳だ(一気留滞とはまさにこのこと)。
少しばかりなら、当該資料を架蔵している友人知人に労を執ってもらう事も出来ようが、これが余り頻繁になると流石に煙たがられるから、殊に小心の人間が取ることの出来る手段ではない。
庵主も、3月末締め切りだった論文執筆に際して、図書館送信資料端末を利用する目途が最後まで立たなかった為、参照せずに済むよう止む無く本文を改めざるを得なくなったという苦い経験をしたばかり。
どうせ図書館を閉めるなら、特例で公開設定にしてくれれば良いのだが、所詮研究者はマイノリティだから、かかる弱者の声は反映されないのである。
せめてもの救いは、閲覧貸出がストップしても、メール等でのレファレンスは受け付けてくれる事で、郷土史関係の問い合わせは館内作業が手持無沙汰な分、平時よりレスは早いようだ。
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