回想の古書店
- 2020/05/04
- 14:10
最近でこそ余り買わなくなったとは言え、蔵書を眺め見て我ながら呆れる程に古本を買い漁って来たものだと思う。
もっとも、蒼流庵の架蔵スペース等たかが知れているから、一万冊にも満たない貧弱なものに過ぎず、蔵書家と呼べる規模には程遠い事自明であるが、それでも古書を愛する気持ちは人後に落ちないと思っている。
とは言え、それは“正常な”愛書家のそれであって、購入した本は酸化を防ぐ為に絶対包装から解き放たずにそのままの状態で保管するとか、或いは其の書物を自分独りのものとするために、同じものをせっせと探し出して来ては焼き捨てる所謂ビブリオクラストの面々などと同日の談でないことは勿論である。
初めて手にした古本は、確か、父が買ってくれたもので、宝石の本(最近はこういう本を見かけないが、昔は現物を買えない貧乏人向けだったのか、類書が多かった。もちろん昨今のパワーストーン本とは違って、あくまでも宝飾品としての宝石のみが扱われている)だったように思うが、或いはUFOの本だったかもしれない。
どちらも処分した記憶はないから、庵内のどこかに潜んでいるものと思うが、長らく目にしておらず、恐らくは容易に手出し出来ないような場所に潜り込んでいるのであろう。
両親の実家のあった南田辺には、黒崎書店という老舗があって、祖父母を訪ねた帰りなどに立ち寄る事が多かった。
一番最初に足を踏み入れた古本屋は、ここだったかもしれないが、子供向けの書籍を扱っているような店ではなく、孰れかと言えば“お堅い”本が多いので、何かを買った記憶はない。
今でも市内に出たついでに立ち寄る事が年に何度かあって、文庫や新書は大変良心的な値付けがなされているので、買うとしたらそういったものが多い。
記憶にあるうちで、一番古い購入品は、おおえまさのり訳の『チベットの死者の書』だと思うが、何度か行った蔵書整理で手放してしまって、今はもう手元になかった筈だ。
自宅の近くでは、もう名前も覚えていないが、行きつけの寿司屋(大将が謎の奇病で歩行困難になってしまい、閉店したのは既に四半世紀の昔になるが、インドマグロと雲丹が美味い店で、庵主のスッポンデビューも此の店である)の傍に、車一台置けるかどうか位のスペースの狭っ苦しい店があって、ここでは江戸川乱歩の明智小五郎本を何冊も買った。
そういえば、例のUFO本もここで買ってもらったのではないかという気がする。
昨年一月に夜逃げ倒産した天牛堺書店の一号店は津久野駅前にあって、四日に一度入れ替えられる古本の均一ワゴンセールは、いつも楽しみで、近隣の三,四軒を定期的に回るのが習慣になっていたが、一番沢山の古本を買ったのは、同店の系列店舗だろう。
購入数が減ったのは、ここが閉店した事が一番の理由かもしれない。
江坂にある本家天牛書店は、えらく値段が安くて掘り出し物が多いので、今でも吹田の今井先生を訪ねる行き帰り等に良く立ち寄るが、通い出したのはそれほど昔のことではなく、行きつけの店の内では新しい部類に入る。
余談ながら、四天王寺の易学供養塔建立時には創業者の天牛新一郎氏(1892~1991)も寄付をされているらしい。
倒産した天牛堺書店は、血縁ではなく従業員がのれん分けの形で独立したものという。
大阪では、天牛書店とならぶ天地書房という老舗があったが、上六の店も千日前の店も今は閉店したようで、道具屋筋に移転したらしいが、移転後は行ったことがない。
天王寺の地下にあった古書サロンてんちも良心的な値段で、随分買わせてもらったし、蔵書整理の際も結構な量を引き取って頂いた。
ここは実店舗を閉じて、今はネット通販のみになったようだが、不思議と通販では御世話になる機会を持てずにいる。
店名はまたもや忘却の彼方だが、千日前の地下にあった古書店にも良く通った。
どんな本を買ったのかは、何故か殆ど記憶にないが、中国の古陶磁に滅法詳しい上品な老婦人が居て、この人と話すのがとても楽しかった事が一番印象に残っている。
長居にあった福永懐徳堂は、今思えば店名に懐徳堂という嬉しい堂号が拝借されているが、当時はそういう分野に全く関心が無かったので、買い得堂を捩ったのだろう位にしか思っていなかったのが恥ずかしい。
たしか、夜行くと、全品2割引きで買えた。
高額品は、昼間目星をつけて置いて、夜買いに行ったものだ。
ここも何店舗かあった筈だが、今は南田辺でひっそりとネット通販に注力していると聞く。
あとは、古本屋巡りを頻繁にしていた時分に良く通った日之出書房も懐かしい。
ここは今里が本店で、南巽と喜連瓜破に支店があったが、今残っているのは喜連瓜破店のみである。
土地柄、朝鮮関連の書籍が充実していたが、私はそういった分野に興味はないので、もっぱら精神世界関連の本を買った覚えがある。
品揃えは南巽店が一番良かった。
今でも時々喜連瓜破店には足を運ぶが、もう昔のような収穫を得られなくなって久しい。
もっとも、欲しい本がそれだけ無くなって来たということでもあるのだが。
新古書店も、一時期は良く利用したが、栄枯盛衰を今更ながらに実感せざるを得ない。
閉店したブックオフも結構あるようだし、ブックマートやブックマーケットなどのパクリ同然の後発は軒並み閉店したように思う。
古本市場は意外に堅調なのか、閉店した店舗は少なくとも近場では余り無いような気がするが、主力商品は本ではなくなって、子供向けのカード(?)の売り場が拡張された分、古本は隅に追いやられたようだ。
結局は、どれもこれも日本人の活字離れによる時代の趨勢といったところだろうが、同胞諸君の知的貧困化の一つの反映のように思われて、コロナなどよりよほど空恐ろしい思いがする。
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