近世臨済禅の成立について
- 2020/05/29
- 20:11
季刊『禅文化』253号(禅文化研究所/2019年7月刊)
先日、真勢中州先生の墓所がある松雲峰寒山寺の住職・瀧瀬尚純師より、ご高論が掲載された季刊『禅文化』を恵与された。
瀧瀬師は、花園大学国際禅学研究所で研究員を務めて居られる学僧でもあり、殊に白隠禅師を詳しく研究されている。
2017年の真勢中州先生没後二百年追善法要で御導師を務めて頂いて以来の間柄であるが、同年7月に中尾良信先生との共著で『日本人のこころの言葉 栄西』を上梓された際も、早速お送りくださり、私は栄西禅師の大凡を此の書によって知り得たのであった。
今回頂戴した『禅文化』では、古月禅材(1667~1751)の特集が組まれており、瀧瀬師は、中世から近世までの我が国臨済禅の流れを概観しつつ、そこに白隠や古月が登場する事で生じた展開について簡潔に記述されている。
論考中でも触れられている五山禅林は、足利学校以前、我が国易学の中心地であって、そもそも禅学は易学との距離が近しいところがあるのだが、瀧瀬師の寒山寺と庵主とはどうも不思議な縁があるのか、法要の打ち合わせで初めてお目にかかった時にも、既に師は蒼流庵随想の存在を御存知であったし、以前山梨稲川の掃苔をした際、墓所のある崇福寺にて応対してくださった女性が御親類である事を後で知って驚いたという事もあった。
また、今回、寒山寺のホームページにて、戦時中に供出された梵鐘が、『曽根崎心中』にも取り上げられた同寺の名物であった事を知ったが、私が漢方分野で初めて公にしたのは、近松門左衛門の弟・岡本一抱に関するもので、実は今また依頼されて一抱子について筆を遅々としつつも進めている最中であったりする。
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