消える無縁墓
- 2020/06/10
- 20:15
先日、取材で久しぶりに京都入りした際、旧本圀寺墓地である妙恵会総墓所に足を運んでみて驚いた。
同墓所はちょうど二年ぶりであるが、墓地中央にあった二基の無縁塔のうち、東側の一基が処分されて、跡形もなくなっているのだ。
旧本圀寺墓地には、かつて初代味岡三伯の門下四傑のうち、井原道閲と岡本一抱の墓所があったが、今はどちらも現存していない。
数度の調査を行って、どちらも見つけられずに訝しんでいたのだが、或いは、無縁墓域ごと消失した可能性も考えられるのではないかと思った。
一基だけ何故処分されたのか、ここまでは車が入って来られないので、駐車スペースという訳ではなさそうであるが、ここに新たな無縁塔でも作るのであろうか。
本圀寺は、かつて広大な寺域を誇った日蓮宗の古刹で、どうも久遠寺に次ぐ寺格であったらしい。
最盛期には六百の末寺を有したというが、内紛が続いて今は山科に移転し、十六の末寺と旧本圀寺墓地である妙恵会総墓所が残されている。
加藤清正公の墓は、本圀寺と共に山科に移転したが、他の墓碑は一部末寺の敷地内にあるものを除いて、殆どが妙恵会総墓所に残されているようだ。
蒼流庵随想では、過去に松永尺五と昌易を紹介している。
同墓所はちょうど二年ぶりであるが、墓地中央にあった二基の無縁塔のうち、東側の一基が処分されて、跡形もなくなっているのだ。
上掲は初訪時の2009年に撮影したものである。
グーグルマップの衛星画像ではまだ二基とも確認出来るが・・・
御覧の通り
旧本圀寺墓地には、かつて初代味岡三伯の門下四傑のうち、井原道閲と岡本一抱の墓所があったが、今はどちらも現存していない。
数度の調査を行って、どちらも見つけられずに訝しんでいたのだが、或いは、無縁墓域ごと消失した可能性も考えられるのではないかと思った。
一基だけ何故処分されたのか、ここまでは車が入って来られないので、駐車スペースという訳ではなさそうであるが、ここに新たな無縁塔でも作るのであろうか。
本圀寺は、かつて広大な寺域を誇った日蓮宗の古刹で、どうも久遠寺に次ぐ寺格であったらしい。
最盛期には六百の末寺を有したというが、内紛が続いて今は山科に移転し、十六の末寺と旧本圀寺墓地である妙恵会総墓所が残されている。
加藤清正公の墓は、本圀寺と共に山科に移転したが、他の墓碑は一部末寺の敷地内にあるものを除いて、殆どが妙恵会総墓所に残されているようだ。
蒼流庵随想では、過去に松永尺五と昌易を紹介している。
スポンサーサイト