過則勿憚改
- 2020/06/16
- 18:07
どれだけ書き上げた時に達成感を感じた自信作であっても、せいぜい其の満足度は持って半年、早ければひと月程の寿命でしかないという実感が私にはある。
あれほど万全を期したつもりでも、たいていは或る時思わぬ誤謬を発見するのであって、これまでに紙媒体で公にした三十を超える拙稿の中で、今読み返してみて一つの瑕疵さえ見い出せないというのは僅かに一つか二つという有様であるが、幸い、それによって結論そのものの変更を強いられるという程の過りは今のところ犯していないという事だけが少しの安堵を与えてくれている。
むしろ、其の誤謬の人に指摘されて判明したというのが、更に其の中の僅かに一、二点であるというのは私にとって些か誇らしくもあるところで、其の他は全て自身の学問の進歩進展によっておのずと明らかになったものだ。
実際、ケアレスミスの範疇に属する誤字脱字の類を除けば、自身の過ちに気づくというのは、何かしらの進化と深化なしには起こり得ない事であると言って良い。
つまり、自身の伸び代の反映であるという訳だ。
数年前、或る研究会で、著作を上梓して間もないさる医史学の大家が、自分の本には凡そ二百カ所の間違いがある、と言っておられたのを聞いた。
出版後一年にも経たぬ時点で、自著の過りを二百も見つけられるというのは、将に大家と称されるに相応しい境地であると感心したのを今でもよく覚えているが、勿論私の学力では其の二百の過りというのが如何なるものかは、専門が異なるという事もあるにせよ、全く見出す事が出来ない。
それに引き換え、一瞥読むに堪えない書物というのが世の中には掃いて捨てる程あって、其の気になれば私でも二百カ所の間違い位は造作もなく見つけられるような程度の低い本というのも少なくないようだ。
少し前、蒼流庵随想から写真を中心に夥しい数の剽窃を行っては金を貰って連載を持っている不届きな老大家を成敗したのだが、それがまた殆ど全項に渡って誤謬に充ちていて呆れるばかりにお粗末な連載であった。
大家氏は六十年のキャリアがあるというのだが、気の毒な位に底の浅い学問しか身につかなかったらしい。
ところで、自分で見つける過ちというのもそれなりに恥ずかしさを感じるものだが、人に指摘された過ちというのは、恥ずかしさがすぐに相手に対する憎悪に変わるというタチの悪さがあって、せっかく指摘してくれた相手に対して、罵詈雑言を以て返すという例が、まさかあの人がという程に一家を成した人物にもまま見られる場合がある。
『論語』学而篇には「過ちては改むるに憚ること勿れ」という有名な孔子の言が見えているが、これは学問の水準とは別に当人の人格に拠るところがどうも大きいようだ。
あれほど万全を期したつもりでも、たいていは或る時思わぬ誤謬を発見するのであって、これまでに紙媒体で公にした三十を超える拙稿の中で、今読み返してみて一つの瑕疵さえ見い出せないというのは僅かに一つか二つという有様であるが、幸い、それによって結論そのものの変更を強いられるという程の過りは今のところ犯していないという事だけが少しの安堵を与えてくれている。
むしろ、其の誤謬の人に指摘されて判明したというのが、更に其の中の僅かに一、二点であるというのは私にとって些か誇らしくもあるところで、其の他は全て自身の学問の進歩進展によっておのずと明らかになったものだ。
実際、ケアレスミスの範疇に属する誤字脱字の類を除けば、自身の過ちに気づくというのは、何かしらの進化と深化なしには起こり得ない事であると言って良い。
つまり、自身の伸び代の反映であるという訳だ。
数年前、或る研究会で、著作を上梓して間もないさる医史学の大家が、自分の本には凡そ二百カ所の間違いがある、と言っておられたのを聞いた。
出版後一年にも経たぬ時点で、自著の過りを二百も見つけられるというのは、将に大家と称されるに相応しい境地であると感心したのを今でもよく覚えているが、勿論私の学力では其の二百の過りというのが如何なるものかは、専門が異なるという事もあるにせよ、全く見出す事が出来ない。
それに引き換え、一瞥読むに堪えない書物というのが世の中には掃いて捨てる程あって、其の気になれば私でも二百カ所の間違い位は造作もなく見つけられるような程度の低い本というのも少なくないようだ。
少し前、蒼流庵随想から写真を中心に夥しい数の剽窃を行っては金を貰って連載を持っている不届きな老大家を成敗したのだが、それがまた殆ど全項に渡って誤謬に充ちていて呆れるばかりにお粗末な連載であった。
大家氏は六十年のキャリアがあるというのだが、気の毒な位に底の浅い学問しか身につかなかったらしい。
ところで、自分で見つける過ちというのもそれなりに恥ずかしさを感じるものだが、人に指摘された過ちというのは、恥ずかしさがすぐに相手に対する憎悪に変わるというタチの悪さがあって、せっかく指摘してくれた相手に対して、罵詈雑言を以て返すという例が、まさかあの人がという程に一家を成した人物にもまま見られる場合がある。
『論語』学而篇には「過ちては改むるに憚ること勿れ」という有名な孔子の言が見えているが、これは学問の水準とは別に当人の人格に拠るところがどうも大きいようだ。
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