論語と徂徠と仁斎と
- 2020/06/19
- 09:22
長らく東洋に於ける学問の底流であったと言っていい儒教の思想では、学問は即ち人格錬磨を目的とするものということになってはいるが、それはあくまでも建前上の話であって、前漢は武帝の時代に国教化されるに至ってそれは何よりも立身出世の手段に成らざるを得なかったし、それどころか、孔子の時代に於いてさえ、其のスクールは畢竟政治の場で活躍する人材を養成するものであった事を考えれば、何のことはない、御大層な名分を掲げても、結局は学問は自身の栄達を計る為のものに他ならない。
『論語』など、子供の教育に於いてもよく読まれた書物であるが、結局それが広く読まれるようになった最大の理由は、科挙の最重要科目が『論語』になったからであって、『論語』の徹底した理解なしには、科挙に受かる等は覚束ない訳で、それでは子の将来を案じる親心として何よりも先ず『論語』を読ませようという話になるのも当然である。
そう考えてみれば、人格形成に資するように子供に『論語』の素読をさせよう等という昨今流行りの懐古趣味も何やら虚しく感じられてくるが、実際、徹底して『論語』を学んだ筈の官僚群中に破廉恥漢を幾らでも見い出せるのが、儒教の本場であった支那の歴史に他ならない。
我が国では、江戸時代に朱子学に反発して所謂古学が興って来るが、『論語』研究に新境地を開いたと言っていい荻生徂徠などは、人物の小ささに定評のあった人物であり、それは伊藤仁斎との関係性に於いても明らかであろう。
かつて、先輩格の仁斎に非常な尊敬と憧れを抱いていた徂徠は、熱烈なファンレターを送るのだが、それに対する返信がなかったことから(実際には重病で返事が書けなかったという話だ)、仁斎その人はおろか其の学問までをも憎悪してこき下ろし始めるのである。
仁斎も徂徠も基本的に学問上のアプローチは似通ったところがあって、どちらも『論語』研究には大きな成果を挙げているのだが、徂徠の方が新世代である分、古語に関する知識も豊富で、仁斎の研究を一歩進めたようなところがある。
が、その徂徠においてさえ、『論語』による人格錬磨はそれほど上手くいったようには思われないのだ。
また、そういう近親憎悪の感情は学問さえ誤らせる結果を生むもので、例えば、『古文尚書』の真に非ざるは今日定論となっているが、徂徠は恐らくは仁斎への反発から、何とか『古文尚書』の偽に非ざることを証明しようと躍起になっていて、徂徠ほどの透徹した眼さえ、私怨は簡単に曇らせてしまう事には慄然とさせられる。
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