『儒教の毒』村松暎著
- 2020/06/23
- 23:47
『儒教の毒』村松暎著
村松暎(1923~2008)の『儒教の毒』は、庵主お気に入りの一冊で、教養ある読書人の多くが小馬鹿にして手に取ろうとしない傾向があるPHP文庫にも、一読巻措く能わざる名著が潜み隠れている事を本書によって知る事が出来る。
本書は、長らく絶対的善であるかのように扱われて来た儒教について、ボロクソにこき下ろしたもので、著者は長年慶大で教鞭を執った中国文学者である(作家の村松友視は甥に当たるそうだ)。
著者によれば、西洋の思想は、科学同様に時代につれて変遷してきており、以前の思想家の考えを後の思想家が検証し、様々な視点から見直され積み重ねられて来ているのに、儒教に関して言えばそういうことが一切なされておらず、最初から儒教は正しい、孔子は有難いと決めてかかられていて、ひとつの思想として何の検証もなされていなければ、また、儒教の方でもどのような批判をも受け付けない、極めて独善的な思想なのであるという。
孔子の後を承ける孟子にしても、色々な学派の人と論争しているが、これが論争になっておらず、言いたいことを言っているだけで、相手を言い負かすことが第一の目的であり、そのためには手段を選ばず、第三者から見たら到底納得できないような展開がみられ、日本に弁護士というものが現われたとき、『孟子』が弁護士の必読書だと言われたのも、さもありなんというのだ。
諸国を遊説して巡っていた孔子や孟子の集団も、大人数で移動する訳だから、食い扶持がなければならず、それは結局諸侯の間をたかり歩いていたのだろうと手厳しいが、『史記』孔子世家に、斉の宰相晏嬰が、儒者は「遊説して乞貸し、以て国を為むべからず」と言っているのは、その辺りの事情を反映したものであるという。
また、孔子の説く徳治主義の政治というのも、結局は、為政者の人格による感化が政治的効果を発揮する程度の規模の集団にのみ有効なものに過ぎず、所詮は村の論理なのであり、周初の昔ならいざ知らず、孔子の同時代においてすら、最早その政治論は時代遅れのものになっていたとする。
他にも、元代の経済的繁栄は儒教が虐げられたからであるとか、儒教や孔子の悪口がしこたま記述されていて面白いが、文庫版のまえがきによると、初版発行直後に、脅迫状同然の怪文書が送り付けられた事もあるという。
それくらい刺激的な内容であるということであるが、私が本書を探していた頃の古書価は今や暴落して、幸いなことに現在ではタダ同然の値段で購入できるようだから、ご興味のある向きは、御手に取ってみられるといい。
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