不惑之年
- 2020/07/05
- 10:31
俗に“論語読みの論語知らず”等というが、『論語』を“読む”という事がどれほど大変であるのかは先述したし、徂徠の如き非凡なる『論語』読みでさえ、其の身に孔子の精神を体現出来ていない事からすると、本当の意味で言えば、“論語読みの論語知らず”という境地といえど、そう容易には見出し得ないものであるという気がする。
実際には、『論語』の意釈訳解の類さえ通読する事なく、慣用句と化した孔子の言葉を的外れに引用し、教養人のフリをしようとして馬脚を現すという場合が、甚だ多いようだ。
例えば、40歳の誕生日に「不惑の年に至りましたが、自分はまだまだです」等とズレたスピーチをする者少なからず居るけれど、
『論語』為政第二には、
子曰く、吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に從って、矩を踰えず。
とあって、四十にして不惑の境地に至るには、前提として、「十有五而志于学」と「三十而立」が無くてはならず、まさか、どんな不肖者でさえ嫌でも放り込まれる義務教育が此の「学」とイコールで結べる筈はないから、自覚的に学問の道に入ってからでさえ、不惑の年にはそこから四半世紀の歳月をかけて歩まねばならない筈で、そうして自信をつけてからでもなお、到達に更に十年の歳月を要するのが不惑の境地なのである。
流されるままに自堕落な生活を四十年送ったところで、辿り着ける筈の無き事自明であって、孔夫子と同じように、十代で学に志し、自分なりに研鑽を積んで、ようやく四十になってもまだ惑う自分を直視して之を引用するならいざ知らず、ただ四十になったからというだけで、「不惑之年」などという語を口にするのは、私に言わせると考え違いも甚だしい。
ところで、ここからすると、五十にして『易』を学べば云々というのも、陸徳明『経典釈文』が引く、易字を亦とする『魯論』の文はひと先ず置いて、不惑の境地から、更に十年の研鑽を積んだ上で『易』を学ぶ事により、初めて大過なき域に達すると読み得られるのである。
常に『易経』を座右に置いているとおぼしき易者連中のうちに、信じられない位低劣で過ちの連続によって人生が構成されているのではないかと思われるような人間をしばしば見かけるのも、或いは此の手順を踏んでない為ではないかという気がせぬでもないが、果たしてどうか。
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