『論語』ヒストリー
- 2020/07/13
- 18:11
成立年代の古い古典的書物は、其の変遷と需要の歴史が複雑怪奇であるのを共通項としていると言って良いが、当然『論語』も其の例に漏れない。
書名にしても、孔子の没後に門人等の集めた師の言葉が、確かに孔子の言説であるかどうかを議論して作られたので『論語』というタイトルが付けられたというが、昔は『老子』『孟子』などのように、人名即ち書名であったから、『論語』という名称はずっと時代が下るものである。
実際、『孟子』にも『荀子』にも『論語』という書名は見えて居らず、この名が初めて見える『礼記』坊記篇は成立の新しい部分であるらしい。
古い引用文では、『孔子』曰という風になっているから、やはり書名はもと『孔子』だったのが、ずっと後になってから『論語』に変わったのに違いなかろう。
そして、テキストそのものも、成立当初から同じものが連綿と受け継がれて来たのでない事もまた他の古典同様で、漢代には、斉論・魯論・古論の三種のテキストが行われていた。
斉論魯論というのは、言うまでもなく、そのテキストが伝わった地方に由来する名称で、古論なるものは、前漢景帝の時、魯の共王が宮殿を拡張する為に其の隣接地にあった孔子の旧宅を破壊した際、壁中から出て来た古文経の『論語』で、斉論魯論は今文経である。
前漢末期、成帝の師であった安昌侯張禹が、魯論を中心として斉論古論を比較して校定本を作ったが、これが現行テキストの元になったものと言われ、後漢に入って、張侯論が学官に列せられると、斉論は亡失した。
後漢末に鄭玄が、張侯論を基本に、古論を参酌して、二十篇の定本を作り、注を書いたが、これが鄭注論語で、其の後の解釈を大きく縛る事になったものである。
張侯論も鄭注論語も今は亡んで伝わらないが、清代の輯佚本に鄭注論語の逸文が収載されており、敦煌文書中からも残欠本や断片が見つかっている。
出土文献では、1973年に河北省定州市の中山懐王劉脩の陵墓より見つかった定州『論語』が有名だが、天災に人災が加わって、現物は既に失われており、一部写真が残っているだけで、窺い知る事の出来る内容は、現行テキストの半分に満たないらしい。
この定州『論語』について、李学勤は『斉論』とし、孫欽善は『古論』とし、「三論」とは異なる別系統の『論語』とする見解もあるそうだが、渡邉義浩氏の「定州『論語』と『齊論』」(『東方学』128巻所収)によると、全体としては『魯論』系のテキストで、『魯論』を基本として『斉論』を対校したものであるという。
現伝文献と言えば、注釈書としては、何晏の『論語集解』が完全な形で伝わる現存最古のものであるが、『論語集解』に再注釈を施した南朝梁の皇侃『論語義疏』は、中国ではとっくに滅んで南宋の頃には逸書になってしまっていた所、我が国に数種の写本が伝わっていて、寛延三年(1750)に、徂徠門の根本遜志が足利学校本をもとにして出版、これが中国に逆輸入され、当時の清朝の学者達を驚かせたのは余りにも有名。
我が国の『論語』受容は、応神天皇の御代に百済より来朝した王仁博士が、『千字文』と共に持参したのが最初と言われるが、これは伝説の範疇に属し、史実とは認められない。
其の後、律令制においては、『易』は経学の第一番目に挙げられ、後漢の鄭玄と魏の王弼の注を用いることが規定されてはいるのだが、何事も建前と実際は必ずしも一致しないもので、『易』はそれほど深く研究された形跡が残っていないようだ。
どうやら『論語』述而に見える「五十以て易を学べば云々」から、『易』は五十歳以後に学ぶものという認識が暗黙の内に形成されていたらしく、『易』は易書詩禮春秋というように、五経の筆頭とされ、『漢書』芸文志などはこれを諸学の源流であるとしているのだが、我が国では『論語』述而の一文の方が強く影響としたということらしい。
だいたい、中国では、宋以前は、孔子の選定した五経を尊重するという風であったのが、宋代に入ると、孔子その人を学ぶ事を重視するようになり、『論語』『孟子』『大学』『中庸』が四書として、事実上、五経よりも重んじられるようになるのだが、日本では宋学の渡来以前から、宮中の講書は『論語』が主を為していて、『五経』はあまり読まれていなかったようだ。
江戸期の仁斎や徂徠も朱子学に反対するという点では同じ立場であるが、どちらも五経よりも『論語』をとりわけ重視しているのが面白い。
江戸時代には、『論語』の注解は多く著されているが、幕末明治に活躍した安井息軒の『論語集説』は、新古の注から考証学まで視野に入った本邦初の綜合的論語研究ということで、出色のものとされる。
以上、甚だ粗略な『論語』の変遷と受容のヒストリーであるが、もとより庵主は『論語』の専門家ではなく、所詮は素人の耳学問の開陳に過ぎないから、思わぬ誤謬あるを憂うるによって、万一誤りあらば、遠慮なく指摘して頂ければ幸いである。
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