猪飼祥夫先生工作展
- 2020/08/13
- 09:44
下京区杉屋町で鍼灸院を営む猪飼祥夫先生の工作展にお邪魔して楽しい版画作品の数々を鑑賞させて頂いたのは7月初頭だったから、既にひと月以上前の事であるが、感動冷めやらぬ内に記事にさせてもらおうと思いつつ、論語ネタ連載の只中に唐突に版画鑑賞記を差し挟むのも何だか憚られて、こんなに遅い紹介となってしまった。
これ以上遅くなると日記よりむしろ回想録の類に入ってしまいそうで備忘録的に書き記しておく事にする。
先生に初めてお目にかかったのは、2014年3月新大阪での集まりで、どうしてそう正確に覚えているかというと、大法輪閣に依頼されて寄稿したものが丁度送られてきて、初対面の名刺代わりに一冊進呈させて頂いた事が印象に残っている為だが、引き合わせて下さったのは、岡山の鍼灸家・石堂智行先生であった。
集まりの趣旨は今一つはっきりと覚えていないが、要は鍼灸師の交流会で、恐らく石堂先生は医史学に興味のあった私を猪飼先生(関西医史学界の重鎮のおひとりで先生はある)に引き合わせる目的で声を掛けられたのではなかったかと想像しているが、数年後に親しい交流の始まる鍼道五経会の足立繁久先生に最初にお目にかかったのも確か此の時である。
此の頃は未だ今のように重篤な鍼灸師アレルギーを発症する以前だったから、大して何も考えずにノコノコ出かけて行ったのだが、散会後に偶然自宅近くの最寄り駅でも帰路に就く足立先生にバッタリ出くわしたから、やはり先生との御縁は此の時に始まっていたという事だろう。
それはさておき、この集まりではビンゴゲームだか抽選だかで、猪飼先生の版画作品が景品(?)として持ち込まれていて、すこぶる籤運の悪い庵主は案の定引き当て損ねたものの、たまたま当選した石堂先生が「沢山貰っているので」と気前良くこちらに回して下さったのだが、それは神農の意匠で、その少し後から比叡平の橋本よし子先生に依頼して神農湯呑を度々製作してもらうようになったのも、思い返せばこれがきっかけだったような気がせぬでもない。
いずれにせよ、猪飼祥夫という鍼灸家の存在は私にとって鍼灸よりむしろ版画と強く結びつく形で記憶されたようだ。
会場は猪飼鍼灸の別室のようになっている通りを挟んで向側の仏の手治療院。
左から法然上人、親鸞聖人、一遍上人で、法然さんはどこか滝平二郎(1921~2009)を彷彿とさせるように思い、改めて滝平版画(いわずと知れた「もちもちの木」)を画像検索してみたが、それほど似ていなかった。
今回もお土産に比良の天狗さんの版画を頂戴した(余談ながら撮影時に文鎮替わりに使ったのは神農湯呑の橋本先生の箸置)。
鍼灸家の余技とは思えない素敵な作品ばかりであったが、還暦を機に始められた趣味とのことである。
なお、展示品は半数が先生の自作で残る半分はネットオークションにて安価で入手した江戸~明治期の版画や石経拓本の類を新たに表装し直したもの(もちろん先生自らの手で)。
最近は古物の価値が下がった事もあって、面白い逸品が非常な安値で入手出来る事屡々で、真の風流人はそういう楽しみ方を見つけるのが実に上手い、という事を今回の先生の作品展でも見せつけられたような気がする。
また、先生には修験者としての顔もあり、今回の作品中に役行者や不動明王、蔵王金剛などが見えているのも其の為である。
これ以上遅くなると日記よりむしろ回想録の類に入ってしまいそうで備忘録的に書き記しておく事にする。
先生に初めてお目にかかったのは、2014年3月新大阪での集まりで、どうしてそう正確に覚えているかというと、大法輪閣に依頼されて寄稿したものが丁度送られてきて、初対面の名刺代わりに一冊進呈させて頂いた事が印象に残っている為だが、引き合わせて下さったのは、岡山の鍼灸家・石堂智行先生であった。
集まりの趣旨は今一つはっきりと覚えていないが、要は鍼灸師の交流会で、恐らく石堂先生は医史学に興味のあった私を猪飼先生(関西医史学界の重鎮のおひとりで先生はある)に引き合わせる目的で声を掛けられたのではなかったかと想像しているが、数年後に親しい交流の始まる鍼道五経会の足立繁久先生に最初にお目にかかったのも確か此の時である。
此の頃は未だ今のように重篤な鍼灸師アレルギーを発症する以前だったから、大して何も考えずにノコノコ出かけて行ったのだが、散会後に偶然自宅近くの最寄り駅でも帰路に就く足立先生にバッタリ出くわしたから、やはり先生との御縁は此の時に始まっていたという事だろう。
それはさておき、この集まりではビンゴゲームだか抽選だかで、猪飼先生の版画作品が景品(?)として持ち込まれていて、すこぶる籤運の悪い庵主は案の定引き当て損ねたものの、たまたま当選した石堂先生が「沢山貰っているので」と気前良くこちらに回して下さったのだが、それは神農の意匠で、その少し後から比叡平の橋本よし子先生に依頼して神農湯呑を度々製作してもらうようになったのも、思い返せばこれがきっかけだったような気がせぬでもない。
いずれにせよ、猪飼祥夫という鍼灸家の存在は私にとって鍼灸よりむしろ版画と強く結びつく形で記憶されたようだ。
会場は猪飼鍼灸の別室のようになっている通りを挟んで向側の仏の手治療院。
作品を解説する猪飼先生
左から法然上人、親鸞聖人、一遍上人で、法然さんはどこか滝平二郎(1921~2009)を彷彿とさせるように思い、改めて滝平版画(いわずと知れた「もちもちの木」)を画像検索してみたが、それほど似ていなかった。
新大阪で頂戴したのは、たしかこの赤い神農さんじゃなかったろうか。
背中側から見た誕生仏というのは珍しい気がする。
ちょっぴりウルトラマン風の少名毘古那
赤ら顔の役行者もかわいい。
一瞬、満州人の辮髪にも見えたが、頭にお灸をのっけてる絵だった。
今回もお土産に比良の天狗さんの版画を頂戴した(余談ながら撮影時に文鎮替わりに使ったのは神農湯呑の橋本先生の箸置)。
鍼灸家の余技とは思えない素敵な作品ばかりであったが、還暦を機に始められた趣味とのことである。
なお、展示品は半数が先生の自作で残る半分はネットオークションにて安価で入手した江戸~明治期の版画や石経拓本の類を新たに表装し直したもの(もちろん先生自らの手で)。
最近は古物の価値が下がった事もあって、面白い逸品が非常な安値で入手出来る事屡々で、真の風流人はそういう楽しみ方を見つけるのが実に上手い、という事を今回の先生の作品展でも見せつけられたような気がする。
また、先生には修験者としての顔もあり、今回の作品中に役行者や不動明王、蔵王金剛などが見えているのも其の為である。
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