『室町記』山崎正和著
- 2020/08/23
- 13:25
一頃、上梓された本は旧著の復刊を覗いて其の殆どを手にするという半ば追っかけをしていたと言って良いような書き手が複数居て、それは則ち小室直樹、谷沢永一、丸谷才一、渡部昇一、長谷川慶太郎、山崎正和の六名の論客であるが、2010年の小室直樹以降次々と鬼籍に入ってしまい、先日の山崎正和氏の逝去をもって我が追っかけもついに終焉を迎える事となった。
追っかけといっても惰性によるところ無きにしも非ず、小室氏の論述の粗さには正直辟易していたし、谷沢渡辺長谷川の三者は口述筆記に頼った事に由来する文体の粗雑さと内容の重複が殊に後期の著作に目立っていて、立ち読みや図書館での借り読みで済ませる事も多くなったが、独り山崎正和だけは出版の度に購入して架蔵するのを常とした。
もっとも、私は演劇には丸で興味がないので、失礼ながら氏の本業であった筈の戯曲はただの一度も読んだことがないし、芸術論の類にもあまり関心がなく、書評はどうも好むところの傾向に隔たりがあったらしくて、結局読書の対象となったのは、もっぱら社会時評や文明論であった気がする。
勿論どんな主題を扱っても氏の主張は極めて論旨明快かつ独特な鋭利を持ち、殊にその優れた文体はいつも私を魅了し続けたといっていい。
私が文章の模範として遠く仰ぎ見るのは、植村清二と山崎正和の二人で、漢文体の移植で格調高い美文体が売りの植村のそれは正直教養に乏しい現代の我々には到底真似できそうにないが、山崎正和の文体は語彙も至って平明なもののみを用い、真似できなくもなさそうな気がするものの、ともすれば通俗に流れそうなところを、それでいて文学の叙述を可能とする、やはり非凡な名文なのであった。
同程度のものは望みがたいとはいえ、日本人たるもの、何か書くならこういう文章を目指すべきだという点で、入試問題に氏の文章が採用される事の多かったというのも頷ける気がする。
今思い立って氏の著述の中から読者諸賢に何かオススメしたいと考え書架を眺めてみたのだが、吉野作造賞を受けた『柔らかい個人主義の誕生』(1984)は世評の割にはそれほど面白かったという読後感が残っていないし、『鴎外 闘ふ家長』(1971)や『不機嫌の時代』(1976)は氏の評論中とりわけ優れたものとされているけれど、生憎明治期の文芸に暗い私には十分に味わう事の出来なかった記憶がある。
『二十一世紀の遠景』(2002)は我々が生きる現代という時代を知る為のよすがとして逸しがたい文明論であると思うが、潮出版という版元が気に入らないし、氏には珍しく口述を元にしている為、読みやすくはあるものの、文体の点で推奨を躊躇させられるところがあるようだ。
そこで、色々迷った末に、1974年の『室町記』を取り上げる事にした。
もともとは『週刊朝日』のグラビア頁に52回に渡って連載されたもので、1974年に単行本に纏められて程なく朝日選書の仲間入りを果たし、その後、講談社文庫、同文芸文庫と何度も版を新たにしている。
氏の著作中もっとも良く読まれたロングセラーは本書ではなかろうか。
実は偶然にも先月久しぶりに本書を読み返して、著者の史眼に対する畏敬の念を新たにしていたところ此度訃報に接し、これからの時代を氏がどのように料理して我々の読卓に供してくれるか、それを目の当たりにする事の叶わなくなったのは誠に残念でならない。
“日本史のなかでも「室町期」の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせふしぎに豊饒な文化を産んだ時代はない”という印象的な書き出しで始まる本書は、日本中世史を扱った傑作のひとつであると言って差し支えないが、無味乾燥なものばかりが目に付く歴史書と違って、中身が実に生き生きとしている事にも読者は驚かされるに違いない。
それが取り扱われた時代の性質を反映しているのは勿論であるが、筆者の力量に負うところ多大であるのは言うまでも無かろう。
この史眼を同時代に向ける事で氏は秀逸な社会時評を多く書いたが、私たちは現代を理解する為の優れた水先案内人を今失った。
氏の冥福を祈る。
追っかけといっても惰性によるところ無きにしも非ず、小室氏の論述の粗さには正直辟易していたし、谷沢渡辺長谷川の三者は口述筆記に頼った事に由来する文体の粗雑さと内容の重複が殊に後期の著作に目立っていて、立ち読みや図書館での借り読みで済ませる事も多くなったが、独り山崎正和だけは出版の度に購入して架蔵するのを常とした。
もっとも、私は演劇には丸で興味がないので、失礼ながら氏の本業であった筈の戯曲はただの一度も読んだことがないし、芸術論の類にもあまり関心がなく、書評はどうも好むところの傾向に隔たりがあったらしくて、結局読書の対象となったのは、もっぱら社会時評や文明論であった気がする。
勿論どんな主題を扱っても氏の主張は極めて論旨明快かつ独特な鋭利を持ち、殊にその優れた文体はいつも私を魅了し続けたといっていい。
私が文章の模範として遠く仰ぎ見るのは、植村清二と山崎正和の二人で、漢文体の移植で格調高い美文体が売りの植村のそれは正直教養に乏しい現代の我々には到底真似できそうにないが、山崎正和の文体は語彙も至って平明なもののみを用い、真似できなくもなさそうな気がするものの、ともすれば通俗に流れそうなところを、それでいて文学の叙述を可能とする、やはり非凡な名文なのであった。
同程度のものは望みがたいとはいえ、日本人たるもの、何か書くならこういう文章を目指すべきだという点で、入試問題に氏の文章が採用される事の多かったというのも頷ける気がする。
今思い立って氏の著述の中から読者諸賢に何かオススメしたいと考え書架を眺めてみたのだが、吉野作造賞を受けた『柔らかい個人主義の誕生』(1984)は世評の割にはそれほど面白かったという読後感が残っていないし、『鴎外 闘ふ家長』(1971)や『不機嫌の時代』(1976)は氏の評論中とりわけ優れたものとされているけれど、生憎明治期の文芸に暗い私には十分に味わう事の出来なかった記憶がある。
『二十一世紀の遠景』(2002)は我々が生きる現代という時代を知る為のよすがとして逸しがたい文明論であると思うが、潮出版という版元が気に入らないし、氏には珍しく口述を元にしている為、読みやすくはあるものの、文体の点で推奨を躊躇させられるところがあるようだ。
そこで、色々迷った末に、1974年の『室町記』を取り上げる事にした。
もともとは『週刊朝日』のグラビア頁に52回に渡って連載されたもので、1974年に単行本に纏められて程なく朝日選書の仲間入りを果たし、その後、講談社文庫、同文芸文庫と何度も版を新たにしている。
氏の著作中もっとも良く読まれたロングセラーは本書ではなかろうか。
実は偶然にも先月久しぶりに本書を読み返して、著者の史眼に対する畏敬の念を新たにしていたところ此度訃報に接し、これからの時代を氏がどのように料理して我々の読卓に供してくれるか、それを目の当たりにする事の叶わなくなったのは誠に残念でならない。
“日本史のなかでも「室町期」の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせふしぎに豊饒な文化を産んだ時代はない”という印象的な書き出しで始まる本書は、日本中世史を扱った傑作のひとつであると言って差し支えないが、無味乾燥なものばかりが目に付く歴史書と違って、中身が実に生き生きとしている事にも読者は驚かされるに違いない。
それが取り扱われた時代の性質を反映しているのは勿論であるが、筆者の力量に負うところ多大であるのは言うまでも無かろう。
この史眼を同時代に向ける事で氏は秀逸な社会時評を多く書いたが、私たちは現代を理解する為の優れた水先案内人を今失った。
氏の冥福を祈る。
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