日高普先生のこと
- 2020/08/27
- 19:27
私が追っかけ的に愛読していた六人の論客は何れも保守派に属する書き手であったが、かつて反動と呼ばれたこの型の知識人も左翼の退潮著しい今となっては、この二字を以て表現される事は全く無くなったようだ。
しかし、論壇に於ける分母が拡大したと思しき昨今、追っかけの対象に加えたいと思わせるような優れた知性の持ち主を保守に於いて見出す事が残念ながら出来ずに居る。
他の殆ど全ての分野に於けると同じく、日本の指導的階層を構成する人物が矮小化してしまったからだろう。
国際政治学者の中西輝政氏が積極的な発言を始めた頃、評判に釣られて少し読んでみた事はあったが、此の人の書いたものなら残らず読みたいと思わせられる程ではなかった。
と、こう書けば私自身どっぷり保守的言論に染まっているように思われるかもしれず、確かにそれはそれで間違いではないのだが、左翼にも例外的に私が感銘を受けた人が居て、法政大学のマルクス経済学者・日高普先生(1923~2006)などはその最たるものである。
本質的な知性に欠け、徒に感情的扇動的である事だけが取り柄の左翼系知識人の中にあって、この人は例外的に澄んだ目と諧謔と優れた文体をも兼ねて保持していた。
本業である資本主義の原理研究に関しては、理解出来るだけの素養を私が持ち合わせていないだけに何も言える事がないのだが、余技である随想や書評を初めて読んだ時の感動には忘れがたいものがあった。
と言っても、本当にこれらの本が左翼の手に成るものかという読後感は残る。
勿論、宇野弘蔵や大内力といった人達の弟子筋に当たるマルクス経済学者が右翼である筈はないし、本人が自分で左翼だと言っている以上そう認識するしかないのだが、この人の書いたものを読んでみると、随分毛色の違いを感じざるを得ないのだ。
「朝鮮人問題の解決を真剣に努力しているのは彼ら(※日本共産党)だけだ、というただそれだけのことでも、彼らこそヒューマニズムのためにたたかっているただ一つの勢力だということを信じないわけにはいかない」(『精神の風通しのために』71頁)とあるかと思えば、「正面から論ずべきことを避けて悪意的ないいがかりをつけることに、われわれは日本共産党をつうじて馴れてしまって」いて、「除名の際に発表される除名理由はもちろん、党外に対する批判も、相手を糾弾しようとするだけできわめて説得性に乏しいことは、例をあげるまでもあるまい。だからむしろ、こういう批判の仕方こそマルクス主義的批判なのだという印象を与えかねないほどである」(同書74頁)と書き、ジャーナリズムに於いて文化大革命礼賛論花盛りの時代にこれに明確に疑問を投げかけている点などは余程の眼力の持ち主と言わなければならないだろう。
本人の基礎的信条に逆らう形で物事を正しく把握出来るというのは尋常一様の人間に出来る事ではないからだ。
また、「第二次大戦が起こったのは、ドイツや日本が軍事侵略によってしかブロック化を達成できないためであった」(同書100頁)という今日では至極当たり前のように思われる事も左翼に言論界の大勢が占められていた一九七〇年代にあって、しかも左翼自身の口をついて出るという事は少なかったのではないかと思う。
と、ここまで書いてきて、何のことはない、私はこれらの文章からも結局保守的言論を抽出して読んでいるだけなのだという事に気が付く。
ここでささやかな思い出話を持ち出せば、確か2005年頃ではなかったかと思うが、日高普先生にファンレターを送った事があった。
ご住所を存じ上げなかったので、かつて局長をされていた法政大学出版局宛てに送ってみたところ、暫らくして御返信を頂戴し、そこには直筆の御手紙と共に私のまだ架蔵していなかった先生の御高著二冊が同封されていた。
震える筆致に老残の翳りが見え隠れするようで、その後ほどなくして新聞で先生の逝去を知ったが、面と向かっての事でないとはいえ、かかる大学者と一度きりでも直接に交流できた事は私の人生の得難い想い出の一つであったと思っている。
しかし、論壇に於ける分母が拡大したと思しき昨今、追っかけの対象に加えたいと思わせるような優れた知性の持ち主を保守に於いて見出す事が残念ながら出来ずに居る。
他の殆ど全ての分野に於けると同じく、日本の指導的階層を構成する人物が矮小化してしまったからだろう。
国際政治学者の中西輝政氏が積極的な発言を始めた頃、評判に釣られて少し読んでみた事はあったが、此の人の書いたものなら残らず読みたいと思わせられる程ではなかった。
と、こう書けば私自身どっぷり保守的言論に染まっているように思われるかもしれず、確かにそれはそれで間違いではないのだが、左翼にも例外的に私が感銘を受けた人が居て、法政大学のマルクス経済学者・日高普先生(1923~2006)などはその最たるものである。
本質的な知性に欠け、徒に感情的扇動的である事だけが取り柄の左翼系知識人の中にあって、この人は例外的に澄んだ目と諧謔と優れた文体をも兼ねて保持していた。
本業である資本主義の原理研究に関しては、理解出来るだけの素養を私が持ち合わせていないだけに何も言える事がないのだが、余技である随想や書評を初めて読んだ時の感動には忘れがたいものがあった。
と言っても、本当にこれらの本が左翼の手に成るものかという読後感は残る。
勿論、宇野弘蔵や大内力といった人達の弟子筋に当たるマルクス経済学者が右翼である筈はないし、本人が自分で左翼だと言っている以上そう認識するしかないのだが、この人の書いたものを読んでみると、随分毛色の違いを感じざるを得ないのだ。
「朝鮮人問題の解決を真剣に努力しているのは彼ら(※日本共産党)だけだ、というただそれだけのことでも、彼らこそヒューマニズムのためにたたかっているただ一つの勢力だということを信じないわけにはいかない」(『精神の風通しのために』71頁)とあるかと思えば、「正面から論ずべきことを避けて悪意的ないいがかりをつけることに、われわれは日本共産党をつうじて馴れてしまって」いて、「除名の際に発表される除名理由はもちろん、党外に対する批判も、相手を糾弾しようとするだけできわめて説得性に乏しいことは、例をあげるまでもあるまい。だからむしろ、こういう批判の仕方こそマルクス主義的批判なのだという印象を与えかねないほどである」(同書74頁)と書き、ジャーナリズムに於いて文化大革命礼賛論花盛りの時代にこれに明確に疑問を投げかけている点などは余程の眼力の持ち主と言わなければならないだろう。
本人の基礎的信条に逆らう形で物事を正しく把握出来るというのは尋常一様の人間に出来る事ではないからだ。
また、「第二次大戦が起こったのは、ドイツや日本が軍事侵略によってしかブロック化を達成できないためであった」(同書100頁)という今日では至極当たり前のように思われる事も左翼に言論界の大勢が占められていた一九七〇年代にあって、しかも左翼自身の口をついて出るという事は少なかったのではないかと思う。
と、ここまで書いてきて、何のことはない、私はこれらの文章からも結局保守的言論を抽出して読んでいるだけなのだという事に気が付く。
ここでささやかな思い出話を持ち出せば、確か2005年頃ではなかったかと思うが、日高普先生にファンレターを送った事があった。
ご住所を存じ上げなかったので、かつて局長をされていた法政大学出版局宛てに送ってみたところ、暫らくして御返信を頂戴し、そこには直筆の御手紙と共に私のまだ架蔵していなかった先生の御高著二冊が同封されていた。
震える筆致に老残の翳りが見え隠れするようで、その後ほどなくして新聞で先生の逝去を知ったが、面と向かっての事でないとはいえ、かかる大学者と一度きりでも直接に交流できた事は私の人生の得難い想い出の一つであったと思っている。
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