『姓名と運命』吉武竹雄著
- 2020/09/16
- 18:32
汗牛充棟の観を呈する姓名学について書かれた数多の本の中より一冊選べと言われたら、迷う事なく吉武竹雄著『姓名と運命』を挙げる。
加藤大岳氏の紀元書房から昭和12年に出た本で(それ故稀覯書の類らしく滅多に市場に出ないようだ)、各種姓名判断について批判的見地から論じ、正しい名前の付け方を確立しようとしたもの。
冒頭は若干残念な書き出しで始まっている。
最初に近衛文麿(1891~1945)と小林一三(1873~1957)の二名がどの流派の姓名学で判断しても凶名なる事をあげ、「家庭は円満に、兄弟に恵まれ、多少健康に難点はあっても非常時局下の宰相として輿望を担って時艱打開に献身するというような、男児として本懐この上もない」運命の近衛公の名が凶名となる姓名学の矛盾をあげつらっているけれど、小林は兎も角不決断の積み重ねで日本を泥沼の戦争に引きずり込んだ主犯たる近衛文麿の名が凶名であったと言われても、我々は今日なんら驚かない。
むしろ、発足当時非常な人気を誇った近衛内閣の初期に書かれた本書の著者が、大衆的人気に引っ張られて近衛の運命を見抜けずに居る事を些か気の毒に思うだけだ。
と、悪口から入ってしまったが、本書は従来の姓名学に理論的掣肘を加えて余すところなく、骨子において熊崎式以下姓名学の虚妄が原理的に批判し尽されているような感さえある。
とはいえ、この書物が名著である事を認めたうえで、結局は悪口で終わらねばならないのは、最終的に著者の説く正しい「名前の付け方」というのが、文字の意義と音韻に気を配った上で性別・身分・境遇と対照して余り不自然でない名前を付けるという甚だ常識的なものに終始する為、竜頭蛇尾の感免れがたく、それは姓名学を滅多切りにした後だけに余計にその感が強くなってしまっているようだ。
加藤大岳氏の紀元書房から昭和12年に出た本で(それ故稀覯書の類らしく滅多に市場に出ないようだ)、各種姓名判断について批判的見地から論じ、正しい名前の付け方を確立しようとしたもの。
冒頭は若干残念な書き出しで始まっている。
最初に近衛文麿(1891~1945)と小林一三(1873~1957)の二名がどの流派の姓名学で判断しても凶名なる事をあげ、「家庭は円満に、兄弟に恵まれ、多少健康に難点はあっても非常時局下の宰相として輿望を担って時艱打開に献身するというような、男児として本懐この上もない」運命の近衛公の名が凶名となる姓名学の矛盾をあげつらっているけれど、小林は兎も角不決断の積み重ねで日本を泥沼の戦争に引きずり込んだ主犯たる近衛文麿の名が凶名であったと言われても、我々は今日なんら驚かない。
むしろ、発足当時非常な人気を誇った近衛内閣の初期に書かれた本書の著者が、大衆的人気に引っ張られて近衛の運命を見抜けずに居る事を些か気の毒に思うだけだ。
と、悪口から入ってしまったが、本書は従来の姓名学に理論的掣肘を加えて余すところなく、骨子において熊崎式以下姓名学の虚妄が原理的に批判し尽されているような感さえある。
とはいえ、この書物が名著である事を認めたうえで、結局は悪口で終わらねばならないのは、最終的に著者の説く正しい「名前の付け方」というのが、文字の意義と音韻に気を配った上で性別・身分・境遇と対照して余り不自然でない名前を付けるという甚だ常識的なものに終始する為、竜頭蛇尾の感免れがたく、それは姓名学を滅多切りにした後だけに余計にその感が強くなってしまっているようだ。
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