易に関する本はそれこそ馬に食わせる程出ていて、まさに汗牛充棟の様相を呈しているけれど、「易ってなぁ~に?」から始める初級以前の入門者レベルの人に対しどんな本を薦めるべきかと問われたら、やはり返答に窮すると言う他はない。
簡潔にして明瞭なものである必要があるのは当然だが、それでいて学問的に誤りの少ない本となると、途端に見つからなくなるというのが現状のようだ。
そもそも入門者レベルと言ったところで、其の人のベースにある教養(殊に支那の文化に関する)如何によって読むべき書物が変わって来るのは当たり前だが、学力以上に持久力に乏しい現代人に対して、安岡正篤氏が初学者向けに最適とする
易経講話など、現代では到底薦められない書物だろう。
普通の読書人なら教養書として権威を持つ
岩波文庫本辺りから攻めてみようと考えるのも無理なからぬ事だが、あの簡潔な註本に予備知識無しの素人が取り組んで挫折しないものかどうか、甚だ不安に感じるのは正直なところ岩波本を余り評価していない庵主の偏見に過ぎないのだろうか。
本田済氏の
朝日易は、その点では幾らか親切な内容のような気もするが、自分が全くの初心者だった場合、あの本で独習して易を習得出来るかどうか正直言って自信はない。
昭和の時代によく読まれた
易学大講座も『易経講話』ほどではないにしても、現代人には大部に過ぎるし、第一、紀元書房が閉まってからは入手するのも容易ではなくなってしまっているようだ。
いっそのこと、どうせ入門書として易に親しむところから始めるなら、昭和の最大のベストセラーと言って良い黄小娥氏の『易入門』辺りまでレベルを落としても良いかもしれないが、二遍筮の本から入ると、後々易占の内容を深めて行く上で、得卦に変な癖がついて足を引っ張る可能性無きにしも非ずだから、これも推奨するに躊躇を捨て切れない。
結局のところ、『易経講話』を短期間のうちに読み通せるような体力のない人(要するに現代人の殆ど全て)は、本田易辺りをテキストに誰か良い教師につくというのが、月並みながら挫折する可能性を低くして幾らかモノに出来そうな望みを託せる現実的な路線というべきだろうか。
スポンサーサイト