三変爻辞占のススメ
- 2020/10/30
- 18:00
易を学ぼうとする者は先ず三変爻辞占に徹底して習熟すべきだ等と書いたら、何を今更と言われるに違いなく、そもそも断易を別として日本で周易をかじっているという人の99.9%が三変筮の爻辞占を主としている、というよりも、三変筮の爻辞占しか知らない人の方がずっと多いに違いない。
しかし、あえてかかる月並みな主張を今更ながらに行うには理由があって、それは易占になんらの興味なく、教養の一貫として義理易に取り組んでみたいと考えている人にも易理に通暁する為の作業として易占に手を染める事を薦めたいと考えるからだ。
実際のところ、義理易といっても余程理解力が豊かで記憶にも恵まれた人でない限り、岩波文庫や朝日易を通読した位では何程の事も理解出来ないというのが普通ではないかと思う。
その点、易占を通じて自らの体験と共に易辞に親しむ機会を多く持てば、理解も記憶もずっと捗るに違いないのである(これは例えば英単語をそれ単独で覚えるよりも例文の中で覚えた方がずっとよく記憶に残るというのに似ているかもしれない)。
そうしている内に、熊崎健翁よろしくミイラ取りがミイラになるように、易占にどっぷりハマってしまうようになるかもしれないが、それはそれで結構な事だと思うし、そうでなくとも、易占に習熟する事は決して義理易と相反するものでない事を知っておいて頂きたい。
だいたい、儒家は売卜者への蔑視から易占を嫌う傾向を持つ事が少なくなく、公田連太郎にもその傾向は少なからず見られたように思うけれど、やはり『易経』は本来占筮のテキストであって、それを哲学書の類として読もうというのは所詮儒家に易が取り込まれた後に出来た後付けのフィクションに過ぎず、歴史的な変遷はおいおい知ってもらうとして、思想書として読みたい向きも占筮からスタートしてもらう方が易というものを正しく理解出来るのではないかという気がしている。
易占家を志す人もまた同様に三変筮の爻辞占によって辞に親しむ機会をなるべく多く持つ事で経文理解を進めるのが、後々如何なる易法を習得するにしても、最も穏当な易占上達法であろう。
そもそも象占にしたって、何も卦象ばかりで占考する訳ではなく、卦意というものを没却する事は出来ない筈だが、卦意は彖辞だけではなく六本の爻に附された全ての辞を読んで初めて理解出来るものであり、結局は辞の理解なしには易占は成立しないものだ。
乾卦を例にとれば、初爻のまだ微賤なる位地に在って力微弱なる地下の龍が段々に力をつけ、最後には驕り高ぶる上爻の辞に至るまでを全て理解して初めて乾為天の卦意、つまりは陽の性質というものが理解出来るのである。
それに、中筮や四遍筮にしても本之卦を対照して一爻変と見做し得る場合は爻辞を採るのが基本的な読卦法であり、一切辞を採用しない真勢易や三変筮ながら象しか観ない白蛾易の方が現代の易占家から見れば特殊な易法という他ない(もちろん、特殊である事は必ずしも劣っている事を意味しはしない。しかし現代において易占を始めようという人にその特殊例から手を付けるよう勧める事は誰もしないだろうと思う)。
どんな動機から易に興味を持たれたにせよ、解説書に一度目を通したなら、まずは賽でも硬貨でも振って立卦し、得られた卦爻辞と睨めっこする所から易に親しんで頂きたいと思う。
しかし、あえてかかる月並みな主張を今更ながらに行うには理由があって、それは易占になんらの興味なく、教養の一貫として義理易に取り組んでみたいと考えている人にも易理に通暁する為の作業として易占に手を染める事を薦めたいと考えるからだ。
実際のところ、義理易といっても余程理解力が豊かで記憶にも恵まれた人でない限り、岩波文庫や朝日易を通読した位では何程の事も理解出来ないというのが普通ではないかと思う。
その点、易占を通じて自らの体験と共に易辞に親しむ機会を多く持てば、理解も記憶もずっと捗るに違いないのである(これは例えば英単語をそれ単独で覚えるよりも例文の中で覚えた方がずっとよく記憶に残るというのに似ているかもしれない)。
そうしている内に、熊崎健翁よろしくミイラ取りがミイラになるように、易占にどっぷりハマってしまうようになるかもしれないが、それはそれで結構な事だと思うし、そうでなくとも、易占に習熟する事は決して義理易と相反するものでない事を知っておいて頂きたい。
だいたい、儒家は売卜者への蔑視から易占を嫌う傾向を持つ事が少なくなく、公田連太郎にもその傾向は少なからず見られたように思うけれど、やはり『易経』は本来占筮のテキストであって、それを哲学書の類として読もうというのは所詮儒家に易が取り込まれた後に出来た後付けのフィクションに過ぎず、歴史的な変遷はおいおい知ってもらうとして、思想書として読みたい向きも占筮からスタートしてもらう方が易というものを正しく理解出来るのではないかという気がしている。
易占家を志す人もまた同様に三変筮の爻辞占によって辞に親しむ機会をなるべく多く持つ事で経文理解を進めるのが、後々如何なる易法を習得するにしても、最も穏当な易占上達法であろう。
そもそも象占にしたって、何も卦象ばかりで占考する訳ではなく、卦意というものを没却する事は出来ない筈だが、卦意は彖辞だけではなく六本の爻に附された全ての辞を読んで初めて理解出来るものであり、結局は辞の理解なしには易占は成立しないものだ。
乾卦を例にとれば、初爻のまだ微賤なる位地に在って力微弱なる地下の龍が段々に力をつけ、最後には驕り高ぶる上爻の辞に至るまでを全て理解して初めて乾為天の卦意、つまりは陽の性質というものが理解出来るのである。
それに、中筮や四遍筮にしても本之卦を対照して一爻変と見做し得る場合は爻辞を採るのが基本的な読卦法であり、一切辞を採用しない真勢易や三変筮ながら象しか観ない白蛾易の方が現代の易占家から見れば特殊な易法という他ない(もちろん、特殊である事は必ずしも劣っている事を意味しはしない。しかし現代において易占を始めようという人にその特殊例から手を付けるよう勧める事は誰もしないだろうと思う)。
どんな動機から易に興味を持たれたにせよ、解説書に一度目を通したなら、まずは賽でも硬貨でも振って立卦し、得られた卦爻辞と睨めっこする所から易に親しんで頂きたいと思う。
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