コメント
眞勢中州の『周易釈故』には、大凶もあるとあるようです。
ありがとうございます。
いつも、拝見してます。
眞勢中州の『周易釈故』の書かれているサイトに以下のような記述がありました。お役に立つか怪しいですが。
六五 りく ごは 、黄裳 こう しょう 元吉 げん きち 、
【書き下し】六五は、黄裳元吉なり、
象曰しょうに いわく、黄裳 こう しょう 元吉 げん きちとは、文ぶん 在あるなりノ中なかに、
【書き下し】象に曰く、黄裳元吉とは、文、中に在るなり、
黄は中央の土の色であり、中の喩えである。
ここで言う中とは、忠信の忠のことである。
裳は衣裳の下の服であり、臣下の喩えである。
この卦は、初六から六四までは、六五の位を君上として解説している。
定位では五が君主の位置であることから、そうしているのである。
しかし今、五の爻を観ると、君上とは言いにくいのである。
そもそも坤の卦は、純陰なのだから、全体が臣下の卦徳なのである。
したがって、六五も直ちに君上とはせず、臣下の高位厚爵の重職にある大臣とするのが適切である。
しかも、柔中の徳を具えているので、大臣にして忠信篤く、臣節固く、よく国家を輔弼ほひつして、臣たる道を守る者である。
だから、黄裳元吉、という。
もしもこの位に臨み、この時に遇い、この黄裳の忠信の道を守るならば大善の吉である。
しかし、臣下としての分を弁えず、忠信ならざるときは、大悪の凶である。
『春秋左氏伝』昭公十二年には、この卦この爻を得て、この黄裳の忠信の義を守らなかったために、身も家も敗走してしまった、という故事がある。
もとよりこの卦は純陰にして、陰の勢いが盛大である。
そこで、六五の爻は君位に当たるので、この時この位に当たる人の、その威福権勢に乗じて臣下たる道を失い、或いは君家を蔑視することを深く惧れ憂い、黄裳なるときは元吉、ならざるときは大凶だ、と諭すのである。
いつも、拝見してます。
眞勢中州の『周易釈故』の書かれているサイトに以下のような記述がありました。お役に立つか怪しいですが。
六五 りく ごは 、黄裳 こう しょう 元吉 げん きち 、
【書き下し】六五は、黄裳元吉なり、
象曰しょうに いわく、黄裳 こう しょう 元吉 げん きちとは、文ぶん 在あるなりノ中なかに、
【書き下し】象に曰く、黄裳元吉とは、文、中に在るなり、
黄は中央の土の色であり、中の喩えである。
ここで言う中とは、忠信の忠のことである。
裳は衣裳の下の服であり、臣下の喩えである。
この卦は、初六から六四までは、六五の位を君上として解説している。
定位では五が君主の位置であることから、そうしているのである。
しかし今、五の爻を観ると、君上とは言いにくいのである。
そもそも坤の卦は、純陰なのだから、全体が臣下の卦徳なのである。
したがって、六五も直ちに君上とはせず、臣下の高位厚爵の重職にある大臣とするのが適切である。
しかも、柔中の徳を具えているので、大臣にして忠信篤く、臣節固く、よく国家を輔弼ほひつして、臣たる道を守る者である。
だから、黄裳元吉、という。
もしもこの位に臨み、この時に遇い、この黄裳の忠信の道を守るならば大善の吉である。
しかし、臣下としての分を弁えず、忠信ならざるときは、大悪の凶である。
『春秋左氏伝』昭公十二年には、この卦この爻を得て、この黄裳の忠信の義を守らなかったために、身も家も敗走してしまった、という故事がある。
もとよりこの卦は純陰にして、陰の勢いが盛大である。
そこで、六五の爻は君位に当たるので、この時この位に当たる人の、その威福権勢に乗じて臣下たる道を失い、或いは君家を蔑視することを深く惧れ憂い、黄裳なるときは元吉、ならざるときは大凶だ、と諭すのである。
大凶?
ありがとうございます。いつも楽しみに拝見してますおります。
ところで、この記事の六五の件ですが、眞勢中州の『周易釈故』のサイトに六五の解説がありました。
最後の一文に条件付きながら「大凶」の文字があります。
ところで、この記事の六五の件ですが、眞勢中州の『周易釈故』のサイトに六五の解説がありました。
最後の一文に条件付きながら「大凶」の文字があります。
Re: 大凶?
こうのたつお様
コメントありがとうございます。
拙ブログを読んで下さり恐れ入ます。
「黄裳元吉」に限りませんが、条件付きで「~なれば吉」と読むべき箇所が易には少なくないですね(近代以降の占例で坤為地六五を条件付きの吉と解すべしとしたものがいくつもあるのは『易学研究』等でも目にした記憶が御座います)。
儒教的に読む「貞吉」も「貞なれば吉」と条件付きに訓読したほうが良いと個人的には思っています。
ただ、占例12の貴顕某は呑象の目には臣たる道を守らない者とは映っていなかったようなので、「黄裳でないから大凶」という解釈とは少し違うように思うのです。
貴顕某がそういう人物であれば「黄裳でないから大凶」という解釈は呑象自身迷いもなく下したに違いありませんが、どうも占例を読む限り、無条件に凶兆と解したようにも受け取れる気が私にはします。
もっとも呑象の筮には霊感占めいた要素が多分にあるので、そこが難しいところのようにも思いますけれども・・・
コメントありがとうございます。
拙ブログを読んで下さり恐れ入ます。
「黄裳元吉」に限りませんが、条件付きで「~なれば吉」と読むべき箇所が易には少なくないですね(近代以降の占例で坤為地六五を条件付きの吉と解すべしとしたものがいくつもあるのは『易学研究』等でも目にした記憶が御座います)。
儒教的に読む「貞吉」も「貞なれば吉」と条件付きに訓読したほうが良いと個人的には思っています。
ただ、占例12の貴顕某は呑象の目には臣たる道を守らない者とは映っていなかったようなので、「黄裳でないから大凶」という解釈とは少し違うように思うのです。
貴顕某がそういう人物であれば「黄裳でないから大凶」という解釈は呑象自身迷いもなく下したに違いありませんが、どうも占例を読む限り、無条件に凶兆と解したようにも受け取れる気が私にはします。
もっとも呑象の筮には霊感占めいた要素が多分にあるので、そこが難しいところのようにも思いますけれども・・・