『高島易断』を読む③
- 2020/11/14
- 22:01
『高島易断』には、某氏の運気を筮すといった個人の運気占が多く収載されているのが先ず目に付く特徴の一つであるが、よく読んでみると他にも中々変わった占題が取り上げられているのを発見出来て面白い。
例えば、占例131(義.p624~p627)等もその一つ(以下庵主による超訳)。
時は明治18年の暮れ、陸軍軍人で政治家の得庵鳥尾小弥太(1848~1905)が来訪、終日易談義に興じた末、「今日我国ニ於テ真ニ易理ニ通ゼル者有リヤ無シヤ」という話題になり、「世の中広い、人材もぎょーさん居てはります。一人や二人はそういう人も居るんやおまへんか」という得庵に対し、「わいかて二十年以上易をやっておますけど、感通の力なんちゅーても沢山咸の初爻くらいのもんですわ。そないな人いま居てはるとは思えまへんなぁ」と応じる呑象。
居る居ないの押し問答になった末、「ほなら、易を立てて白黒はっきりつけよやおまへんか」という事になって、呑象筮して其の得卦は風地観上九。
詳しい占考は直接原典に当たられたいが、呑象は此の卦爻から同時代には居ないが「後世必ズ易術ヲ以テ神明ニ通ズル者アルナルベシ」と断じ、ようやく得庵も納得。
ここから得庵も自ら筮を試みるという展開になるのだが、それは一先ず置いて、押し問答の末に「真の易の達人が現在居るのか」を易に問うて、「今は居ないが将来必ず出現する」と判断して二人で納得するという一種滑稽な味わいさえ感じさせるワンシーンで、『高島易断』に収載された400を超える占例のうち、庵主がとりわけ面白く読んだものの一つである。
漢文読解力が当時に比べて信じられない程低下し、易を学ぶ人口も減少の一途、今後呑象の時代にさえ居なかったような易理に通暁した達人が突如として現れるとは私には到底信じがたいのだが、或いはもう既に出現しているのであろうか。
だとすれば、それはまさか竹原亜希子サンではないにせよ、誰の事であったのか。
呑象以降の著名な易家といえば、大正に大島中堂あり、昭和に加藤大岳ありと幾つか名前が浮かびはするものの、呑象以上に神懸った占を為したとは私には思えないのだが、もし何かの弾みで今後そういう真の易聖が現れ、そして自らが同時代に居合わせるという幸運に恵まれたなら、私は是非その門に入って教えを乞いたいと思っている。
例えば、占例131(義.p624~p627)等もその一つ(以下庵主による超訳)。
時は明治18年の暮れ、陸軍軍人で政治家の得庵鳥尾小弥太(1848~1905)が来訪、終日易談義に興じた末、「今日我国ニ於テ真ニ易理ニ通ゼル者有リヤ無シヤ」という話題になり、「世の中広い、人材もぎょーさん居てはります。一人や二人はそういう人も居るんやおまへんか」という得庵に対し、「わいかて二十年以上易をやっておますけど、感通の力なんちゅーても沢山咸の初爻くらいのもんですわ。そないな人いま居てはるとは思えまへんなぁ」と応じる呑象。
居る居ないの押し問答になった末、「ほなら、易を立てて白黒はっきりつけよやおまへんか」という事になって、呑象筮して其の得卦は風地観上九。
詳しい占考は直接原典に当たられたいが、呑象は此の卦爻から同時代には居ないが「後世必ズ易術ヲ以テ神明ニ通ズル者アルナルベシ」と断じ、ようやく得庵も納得。
ここから得庵も自ら筮を試みるという展開になるのだが、それは一先ず置いて、押し問答の末に「真の易の達人が現在居るのか」を易に問うて、「今は居ないが将来必ず出現する」と判断して二人で納得するという一種滑稽な味わいさえ感じさせるワンシーンで、『高島易断』に収載された400を超える占例のうち、庵主がとりわけ面白く読んだものの一つである。
漢文読解力が当時に比べて信じられない程低下し、易を学ぶ人口も減少の一途、今後呑象の時代にさえ居なかったような易理に通暁した達人が突如として現れるとは私には到底信じがたいのだが、或いはもう既に出現しているのであろうか。
だとすれば、それはまさか竹原亜希子サンではないにせよ、誰の事であったのか。
呑象以降の著名な易家といえば、大正に大島中堂あり、昭和に加藤大岳ありと幾つか名前が浮かびはするものの、呑象以上に神懸った占を為したとは私には思えないのだが、もし何かの弾みで今後そういう真の易聖が現れ、そして自らが同時代に居合わせるという幸運に恵まれたなら、私は是非その門に入って教えを乞いたいと思っている。
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