蓍の薬能
- 2020/12/14
- 18:02
メドハギ(2013年7月2日.木津川にて撮影)
何度か書いてきたように、現在中国では蓍の基原にキク科ノコギリソウを当てていて、私は未だ此の比定に丸で納得出来ずに居るのだが、他に訝しむ者の声を耳にしないのは、今では生薬として用いられなくなっているという事情が関係しているのであろうか。
『春秋繁露』は「蓍百莖にして一本、是を以て三代伝へて疑を決す」と云い、『洪範五行伝』は「蓍生ず百年、一本百莖を生ず」、『史記』亀策伝は「蓍百莖一根を共にす」と云う此の蓍の最たる特徴がノコギリソウには当てはまらず、我が国でメドハギの和名で呼ばれているマメ科ハギ属の植物こそそれに相応しいという事は両者を比較した経験のある者なら誰もが合点の行くところであろう。
最も本草基原の比定に於いて日中間に差異のある場合、大抵日本側が的外れな誤認をしている事が少なくなく、それは主として、生育しているナマの状態を見る事が困難であったという事情(当時は写真を利用する事も出来なかったので)が大きなハンデとなっていた為だが、ノコギリソウを蓍に比定する説にも何か根拠はある筈だから、いずれ折を見て其の詳細を考究してみたいと思う。
張華の『博物志』は「蓍は千歳にして三百莖となる。その本がかように老いたものだから吉凶を知るのだ」というが、私はむしろ『神農本草経』に見える蓍実の薬能の記載「気を益し、肌膚を充し、目を明かにし、慧を聰くし、先を知る」に注意を引かれる。
後半の「明目、聰慧、先知」を見ると、或いは占具の素材として蓍が用いられるようになったのは、先ず薬能の方が見出され、そこから未来を知る為の道具に転用しようという発想が生まれたのではあるまいかと想像したくなってくるのだ。
ところで、『本草綱目』の蓍実の項で、李時珍は『博物志』の記述「末が本より太いものを上とする。次は蒿であり、次は荊であって、皆満月の時に浴する」を引き、「して見れば、卦を数えるに蓍のないときは荊、蒿を代用してもよいのである」(『国訳本草綱目』)と言っているけれど、蓍の代りに竹を用いるという発想の無さそうなのが注意を引かれる。
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