亀卜による立卦?
- 2020/12/23
- 13:28
大陸において陸続と発見が続く近年の考古学的成果が術数関連の分野においても極めて興味深い多くの新知見を提示してくれているのは広く知られるところである。
其の中には、蓍を用いて卦を布くという繋辞伝記載の筮法を遥かに遡る立卦法の存在を匂わせるものも見つかっていて甚だ興味深い。
1987年に河南省舞陽県賈湖村の新石器時代の遺跡より副葬品として発見された八点の亀甲には、内部に数個から数十個の小石が入っており、用途に関して、温熱療法に用いる治療器の一種であるとか、楽器として用いられたとか、いくつかの見解が示されているものの、どうやら占具の可能性が高い様だ。
実は此の手の小石の詰め込まれた亀甲は黄河下流域の遺跡からは数多く見つかっていて、それが楽器であれ何であれ、かつて広く用いられたものである事は間違いないようだ。
また、実際の亀甲ではなく玉製のそれが見つかっているのは紀元前3000年前後と推定される安徽省の含山遺跡で、出土した玉製の背甲と腹甲の間に挟まれた玉板には太陽を中心とする放射状の文様が刻まれていたが、これは良く知られた殷代の亀卜を更に遡る形態の亀卜の用具である可能性が高いと見られる。
張政烺氏以降、俄かに注目を浴びるようになった数字卦はどのような手順で求められたのか詳らかではないが、或いは蓍筮様の算籌ではなく、かかる亀卜によって表出せられたものであるのかもしれない。
ところで、ここで私が気にかかるのは、山沢損六五および風雷益六二の爻辞に見える「十朋之亀」である。
大きな貝二個を一朋とするので十朋とは大きな貝二十個であり、十朋之亀とは大きくて非常に高価な亀という意味(馬融・鄭玄らは十種の亀と解するが採用せず)で、それを以て占っても吉だという辞であるが、今井宇三郎氏はこれは天下の大宝、貴重な宝物の意で亀卜の占に用いるという意味ではないと解しておられるものの、「元吉」や「永貞吉」の辞が続く事を考えれば、私はやはり亀卜として良いと思う(公田連太郎翁もそう解しておられる)。
しかし、そのように解した場合、占筮のテキストである『周易』に亀卜が出てくる違和感を如何に解消するかという問題が起こって来る。
卦爻辞には易以前の卜辞が素材として用いられているとする説に従えば、亀卜に関わる文句が易辞に混入していたとして何ら問題はない訳だが、近年続々と発見されている小石が内部に入れられた亀甲の出土物を見ると、亀甲を用いた立卦法が蓍筮に先行して行われていた名残が爻辞中に残存していると見る事も出来ない訳ではないだろう。
また、従来出土している亀卜の亀甲はクサガメやハナガメの類で、幾ら大きいからといってそれほど高価なものとも思われないが(我が国の亀卜のようにウミガメの甲を用いる場合はなんとなく判らぬでもないけれど)、玉製の亀なら「十朋之」と大仰に表現されたとしてもおかしくはない。
この問題は慎重な検討を要するもので安易な即断は避けなければならないけれど、今後数字卦と共に如何なる占具(と思われるもの)が出土するのか目が離せないと思うのは独り庵主ばかりではなかろう。
其の中には、蓍を用いて卦を布くという繋辞伝記載の筮法を遥かに遡る立卦法の存在を匂わせるものも見つかっていて甚だ興味深い。
1987年に河南省舞陽県賈湖村の新石器時代の遺跡より副葬品として発見された八点の亀甲には、内部に数個から数十個の小石が入っており、用途に関して、温熱療法に用いる治療器の一種であるとか、楽器として用いられたとか、いくつかの見解が示されているものの、どうやら占具の可能性が高い様だ。
賈湖村遺跡出土の亀甲と小石(写真はweb上より拝借)
実は此の手の小石の詰め込まれた亀甲は黄河下流域の遺跡からは数多く見つかっていて、それが楽器であれ何であれ、かつて広く用いられたものである事は間違いないようだ。
また、実際の亀甲ではなく玉製のそれが見つかっているのは紀元前3000年前後と推定される安徽省の含山遺跡で、出土した玉製の背甲と腹甲の間に挟まれた玉板には太陽を中心とする放射状の文様が刻まれていたが、これは良く知られた殷代の亀卜を更に遡る形態の亀卜の用具である可能性が高いと見られる。
含山遺跡出土の玉亀および玉板(写真はweb上より拝借)
張政烺氏以降、俄かに注目を浴びるようになった数字卦はどのような手順で求められたのか詳らかではないが、或いは蓍筮様の算籌ではなく、かかる亀卜によって表出せられたものであるのかもしれない。
ところで、ここで私が気にかかるのは、山沢損六五および風雷益六二の爻辞に見える「十朋之亀」である。
大きな貝二個を一朋とするので十朋とは大きな貝二十個であり、十朋之亀とは大きくて非常に高価な亀という意味(馬融・鄭玄らは十種の亀と解するが採用せず)で、それを以て占っても吉だという辞であるが、今井宇三郎氏はこれは天下の大宝、貴重な宝物の意で亀卜の占に用いるという意味ではないと解しておられるものの、「元吉」や「永貞吉」の辞が続く事を考えれば、私はやはり亀卜として良いと思う(公田連太郎翁もそう解しておられる)。
しかし、そのように解した場合、占筮のテキストである『周易』に亀卜が出てくる違和感を如何に解消するかという問題が起こって来る。
卦爻辞には易以前の卜辞が素材として用いられているとする説に従えば、亀卜に関わる文句が易辞に混入していたとして何ら問題はない訳だが、近年続々と発見されている小石が内部に入れられた亀甲の出土物を見ると、亀甲を用いた立卦法が蓍筮に先行して行われていた名残が爻辞中に残存していると見る事も出来ない訳ではないだろう。
また、従来出土している亀卜の亀甲はクサガメやハナガメの類で、幾ら大きいからといってそれほど高価なものとも思われないが(我が国の亀卜のようにウミガメの甲を用いる場合はなんとなく判らぬでもないけれど)、玉製の亀なら「十朋之」と大仰に表現されたとしてもおかしくはない。
この問題は慎重な検討を要するもので安易な即断は避けなければならないけれど、今後数字卦と共に如何なる占具(と思われるもの)が出土するのか目が離せないと思うのは独り庵主ばかりではなかろう。
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