出土資料に対する不安
- 2020/12/29
- 10:37
自分が古書の鑑定について素人であるという事も関係しているとはいえ、昨今の出土資料ブームに対して感じる不安は、やはり其の資料が本物であるのかどうかという点で、これは独り庵主のみが抱いている感覚ではない筈であるが、不思議と同じ不安を吐露する人の少ない印象がある。
“ゴッドハンド”こと藤村新一氏が世間を騒がせた旧石器捏造事件から今年でちょうど20年になるが、あれだって毎日新聞の記事が無かったら発覚はもっと遅れていたに違いない。
大陸の出土資料にしたって真っ赤な偽物でないとどうして端から信じる事が出来ようか。
そもそも、昨今取り上げられている資料群にしても、馬王堆帛書のようにはっきりした出土地と出土状況が判るものは少数派で、あとは得体の知れない盗掘品が市場に出て来たのを博物館や大学が買い上げたものである。
地名ではなく博物館や大学の名を関した楚簡だの漢簡だのという資料は皆この盗掘品の類と思っていい。
1970年代の馬王堆の前漢墓発掘以降、出土資料が金になると嗅ぎ付けた連中によって、市場には夥しい数の偽出土資料が溢れかえるようになったという話を以前耳にした事がある。
もちろん、これらが無批判に取り上げられている筈もなく、各博物館や大学もこれぞと思ったもののみを買い上げている訳であるが、出土場所や発掘状況の判らない以上、とりわけ大切な資料の年代比定について決定打を欠くのは致し方ない事だ。
すべてC14年代測定にかけられていて、一応の担保にはなっているようだが、あの測定法も絶対的に信頼出来るものかと言えば、そうではないという。
ゴッドハンド事件のように文字を伴わない単なる遺物と違って、古文書の類は専門家の眼を欺けるような真に迫ったものを偽作するのも容易でないから、どこかで馬脚を現す可能性が高いけれど、東晋時代に梅賾が偽作した所謂『偽古文尚書』のように、なかなか見破る者が現れずに孔穎達ら唐代の学者はそれに註まで附してしまう始末であったという先例がある。
もっとも、学問は常に進歩していて鑑別学もまた飛躍的な発達を見せているという事は言えるが、それを言えば贋物作りの技術もまた日進月歩な訳だろう。
私は古美術に関心を持つようになって既に四半世紀を超えるが、時に真物を上回るような偽物というのが存在する事を知っている。
この水準になると既に贋作作りという行為そのものがアートの域に達しているのである。
出土状況の明らかでないものは俎上に載せないという堅実な行き方もある訳だが、大陸の研究者のデガラシで勝負するしかない日本の研究者は私にはどうも無批判に受け入れ過ぎているように感じられるのだ。
もっとも上記は所詮素人の受ける印象に過ぎないのだけれど、日本に旧石器時代が存在した事を証明した相沢忠洋(1926~1989)が、素人学者としてかつて専門家から散々馬鹿にされていた事を付記しておく事にする。
“ゴッドハンド”こと藤村新一氏が世間を騒がせた旧石器捏造事件から今年でちょうど20年になるが、あれだって毎日新聞の記事が無かったら発覚はもっと遅れていたに違いない。
大陸の出土資料にしたって真っ赤な偽物でないとどうして端から信じる事が出来ようか。
そもそも、昨今取り上げられている資料群にしても、馬王堆帛書のようにはっきりした出土地と出土状況が判るものは少数派で、あとは得体の知れない盗掘品が市場に出て来たのを博物館や大学が買い上げたものである。
地名ではなく博物館や大学の名を関した楚簡だの漢簡だのという資料は皆この盗掘品の類と思っていい。
1970年代の馬王堆の前漢墓発掘以降、出土資料が金になると嗅ぎ付けた連中によって、市場には夥しい数の偽出土資料が溢れかえるようになったという話を以前耳にした事がある。
もちろん、これらが無批判に取り上げられている筈もなく、各博物館や大学もこれぞと思ったもののみを買い上げている訳であるが、出土場所や発掘状況の判らない以上、とりわけ大切な資料の年代比定について決定打を欠くのは致し方ない事だ。
すべてC14年代測定にかけられていて、一応の担保にはなっているようだが、あの測定法も絶対的に信頼出来るものかと言えば、そうではないという。
ゴッドハンド事件のように文字を伴わない単なる遺物と違って、古文書の類は専門家の眼を欺けるような真に迫ったものを偽作するのも容易でないから、どこかで馬脚を現す可能性が高いけれど、東晋時代に梅賾が偽作した所謂『偽古文尚書』のように、なかなか見破る者が現れずに孔穎達ら唐代の学者はそれに註まで附してしまう始末であったという先例がある。
もっとも、学問は常に進歩していて鑑別学もまた飛躍的な発達を見せているという事は言えるが、それを言えば贋物作りの技術もまた日進月歩な訳だろう。
私は古美術に関心を持つようになって既に四半世紀を超えるが、時に真物を上回るような偽物というのが存在する事を知っている。
この水準になると既に贋作作りという行為そのものがアートの域に達しているのである。
出土状況の明らかでないものは俎上に載せないという堅実な行き方もある訳だが、大陸の研究者のデガラシで勝負するしかない日本の研究者は私にはどうも無批判に受け入れ過ぎているように感じられるのだ。
もっとも上記は所詮素人の受ける印象に過ぎないのだけれど、日本に旧石器時代が存在した事を証明した相沢忠洋(1926~1989)が、素人学者としてかつて専門家から散々馬鹿にされていた事を付記しておく事にする。
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