「紀藤易特集」を読む
- 2021/01/04
- 19:14
『実占研究』第30巻12月号(1981年)
昨年はコロナのお蔭で世間を外出自粛ムードが蔽った為、いつになく読書量を増やす事に成功した一年であった気がする。
今年はどうなるのか、ワクチンの成果次第といったところだが、自分は自分のやるべき事をやり、読むべき本を読むだけだ。
ところで、三が日ほどに読書が捗る期間というのは一年のうちでもそう他にあるものではないが、私の場合、此の期間は新たな本を読むよりも孰れかと言えば過去に手にした名著良書を再読するのに適しているような気がする。
そこで、今回は『実占研究』の最終号を何年振りかで手にしてみる事にした。
これは昭和56年、紀藤元之介先生が他界した翌々月の号に当たり、これを最後に『実占研究』誌は其の三十年の歴史に幕を下ろした。
最終号は「紀藤易特集」と銘打ってあるが、過去の『実占研究』誌の中から紀藤先生の名言を抜き出されたもので、広瀬宏道先生のセレクトである。
主として昭和40年代に書かれたものが中心となっているようだ。
いくつか目に付いたものを抜き出してみる事にする。
易占で未来をあてるというようなこと、じつはだんだん価値が減じているんじゃないかな。未来予測というようなことは、これから「未来学」が科学的にどんどん発達して、占いなどよりずっと的確になってくる。占いは「お笑いの素」みたいに扱われて、権威失墜(笑)で、「占い」はこれからは、「どうなるか」ということを予見することより、「どうなるから、どうしたらいいか」ということに力を入れてゆくほうが、役立つしごとということになるんではないか。不変のコースを指摘する算命術でなく、可変性の未来をいろいろ読んで、どう対処するか、どの道をえらばせるか、そういう助言ということができるようにしたらいいと思う。そのためには、卦読み以前の勉強が必要です。
(昭和45年4月)
聴き上手でまとめ上手、ということが、運命判断家の第一の資格だ、といえましょう
(昭和42年4月)
人は、「一度筮竹を握ったら、自分の易は必ず中(あた)るという自信をもて」と勇気を出して向え、と言われますが、私のばあいは全然反対です。自分の無力さを知り、自恃(みずからたのむ)自信(みずからを信じる)を喪くして、否定しきって「大いなる力をたのみまいらせる」気持になること、多少学問があったり能力があったりするとこれがなかなかむずかしいのです。といって、ほんものの馬鹿・無智ではどうにもなりません。馬鹿でもなく無智でもないけれど、大いなる力の前では無力な存在にすぎないと自覚して、素朴な心境になりきって、占問いをする――これがむずかしいのです。
(昭和56年1月)
無くてはならないものは、謙虚なこころであり、有ってはならないものは鼻の先にぶらさげた学問ぼこりともいうべき誇りです。この有と無を入れかえるということはなかなかむずかしいと思います。
(昭和56年1月)
巻末に「紀藤元之介先生の歩み(抄)」と題した簡潔な年譜が附されている。
そういえば、今年はちょうど紀藤先生の没後40年に当たる年だ。
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