吉凶の字源について
- 2021/01/22
- 18:05
井伏鱒二の随筆「大岳さん」の後半で、「学」という漢字の字源が「爻」に関係しているという話が出ていて、これは宮崎市定の字源説である(宮崎市定については触れられていないけれども)。
宮崎説では、吉凶という漢字は蓍の本数を数えた時の奇遇に由来するとし、任意に掴み取った蓍策の数をカウントして行くときに、二本ずつ×××…という風に並べて行き、それが「爻」字の元になっているとする。
易は中庸を貴ぶとはいえ、やはり陽尊陰卑の思想が根底にある訳で、蓍策の計数結果が偶数で終わると凶であり、「凶」という字は箱の中に偶数が残った形であるという。
同様に、奇数が残った場合が吉であり、「吉」字の上の「士」は「×」と「一」とであり、「一」とは残策であるが、一は壱と同じで其の古音は吉であったとする。
そして、学の正字である「學」は上半分に真ん中に棒を並べた爻の形があり、その両側は臼という字に似ているが本当は両手で棒を扱っている形で、その下に台があって、それを子供が下のほうから見上げている、つまり子供が親達が台の上で行う占いを見て覚えようとしているのが学問の原義であるという。
恐らくこれは正鵠を射たものであろう。
:追記:
奈良場勝老師より御高著『近世易学研究』第一部人物編の脚注(128p)に、『卜筮霊狐伝』や『卜筮盲筇極秘大全』の中で學字を小子が両手にて爻を捧げた象とする小川養軒(平澤随貞の師)の言が引かれている事が記載されており、江戸時代には既に此の字源説の見えている事について教示を頂いた。
宮崎市定氏の字源説は『論語の新研究』などに見えているが、もっぱら吉字と凶字の字源について論じ、學字については蛇足程度に触れられているのみであるものの、或いは此の吉凶の字源は江戸時代の學字の字源説に着想を得たものであるのかもしれない。
なお、加藤大岳氏は『易学研究』誌上において、しばしば宮崎市定説において触れており、お気に入りの説だったらしく思われるので、井伏氏が聞いた話そのものは宮崎説の延長と見て差し支えないと思われる。
宮崎説では、吉凶という漢字は蓍の本数を数えた時の奇遇に由来するとし、任意に掴み取った蓍策の数をカウントして行くときに、二本ずつ×××…という風に並べて行き、それが「爻」字の元になっているとする。
易は中庸を貴ぶとはいえ、やはり陽尊陰卑の思想が根底にある訳で、蓍策の計数結果が偶数で終わると凶であり、「凶」という字は箱の中に偶数が残った形であるという。
同様に、奇数が残った場合が吉であり、「吉」字の上の「士」は「×」と「一」とであり、「一」とは残策であるが、一は壱と同じで其の古音は吉であったとする。
そして、学の正字である「學」は上半分に真ん中に棒を並べた爻の形があり、その両側は臼という字に似ているが本当は両手で棒を扱っている形で、その下に台があって、それを子供が下のほうから見上げている、つまり子供が親達が台の上で行う占いを見て覚えようとしているのが学問の原義であるという。
恐らくこれは正鵠を射たものであろう。
:追記:
奈良場勝老師より御高著『近世易学研究』第一部人物編の脚注(128p)に、『卜筮霊狐伝』や『卜筮盲筇極秘大全』の中で學字を小子が両手にて爻を捧げた象とする小川養軒(平澤随貞の師)の言が引かれている事が記載されており、江戸時代には既に此の字源説の見えている事について教示を頂いた。
宮崎市定氏の字源説は『論語の新研究』などに見えているが、もっぱら吉字と凶字の字源について論じ、學字については蛇足程度に触れられているのみであるものの、或いは此の吉凶の字源は江戸時代の學字の字源説に着想を得たものであるのかもしれない。
なお、加藤大岳氏は『易学研究』誌上において、しばしば宮崎市定説において触れており、お気に入りの説だったらしく思われるので、井伏氏が聞いた話そのものは宮崎説の延長と見て差し支えないと思われる。
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