京房の律管占
- 2021/02/16
- 18:23
京房は一般に擲銭法の創始者とされて、断易が擲銭を以て正統なる立卦法とする一つの根拠ともなっているけれど、既に見てきたように擲銭の起源は恐らくは唐宋間にまで下るものと考えるべきであろう。
従って漢易諸家も基本的に蓍策を用いて卦を布いていたに違いないと私は思うが、『続漢書』律暦志(司馬彪)に、六十本の律管につめた灰によって占候する京房の奇妙な技法が出ている。
候気の法、室を三重に為し戸を閉じ、塗釁必す周くし、密に緹縵(あかぎぬ)を布く。室中に木を以て案(つくえ)と為し、每律おのおの一、内庳く外高く、其の方位に従いて律を其の上に加え、葭莩の灰を以て其の内端を抑くす。曆に案り之を候うに、気の至る者は灰動き、其の気を動かす所と為す者は灰散じ、人及び風の動かす所の者は其の灰聚まる。殿中にて候うは玉律六十を用い、惟の二はその霊台にて候うに至るは竹律六十を用う。日を候うに其れ暦の如し。
堀池信夫「京房の六十律」(日本中国学会報 31)によれば、密室内に六十の方位にむけてセットされた六十本の律管につめられた灰が、暦面に対応する気のはたらきによって飛び出し、その飛びぐあいによって一年三百六十五日四分の一を六十等分した六日八十分の七(六日七分)の期間を占うものであったという。
どうも私の頭では絵を描きにくいのだが、これだけを見ると京房の占候の業は我々が想像する筮儀なり擲銭なりによって卦を出し判断するのとは一寸違ったものであるようだ。
これが易占の一種であるのかどうか、私にはそれすらも能く分からないが、いずれにせよ、京房がらみでは擲銭など何処にも出て来ず、このような奇妙な占法が顔を覗かせているのは甚だ面白い。
従って漢易諸家も基本的に蓍策を用いて卦を布いていたに違いないと私は思うが、『続漢書』律暦志(司馬彪)に、六十本の律管につめた灰によって占候する京房の奇妙な技法が出ている。
候気の法、室を三重に為し戸を閉じ、塗釁必す周くし、密に緹縵(あかぎぬ)を布く。室中に木を以て案(つくえ)と為し、每律おのおの一、内庳く外高く、其の方位に従いて律を其の上に加え、葭莩の灰を以て其の内端を抑くす。曆に案り之を候うに、気の至る者は灰動き、其の気を動かす所と為す者は灰散じ、人及び風の動かす所の者は其の灰聚まる。殿中にて候うは玉律六十を用い、惟の二はその霊台にて候うに至るは竹律六十を用う。日を候うに其れ暦の如し。
堀池信夫「京房の六十律」(日本中国学会報 31)によれば、密室内に六十の方位にむけてセットされた六十本の律管につめられた灰が、暦面に対応する気のはたらきによって飛び出し、その飛びぐあいによって一年三百六十五日四分の一を六十等分した六日八十分の七(六日七分)の期間を占うものであったという。
どうも私の頭では絵を描きにくいのだが、これだけを見ると京房の占候の業は我々が想像する筮儀なり擲銭なりによって卦を出し判断するのとは一寸違ったものであるようだ。
これが易占の一種であるのかどうか、私にはそれすらも能く分からないが、いずれにせよ、京房がらみでは擲銭など何処にも出て来ず、このような奇妙な占法が顔を覗かせているのは甚だ面白い。
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