五車の書
- 2021/04/13
- 18:26
『荘子』天下篇に“恵施多方其書五車(恵施は多方にして、其の書は五車)”という文が見えていて、戦国時代の恵施という人は多芸多才で其の蔵書は車五台分もの量があったというのだが、蔵書の多い事を「五車」と表現するのは此の逸話を出典としている。
もっとも此の「車」というのがトラックの類である筈はないから、案外手押し車やリヤカー程度のチャチなものかもしれないし、馬車としたところで、五台分の蔵書など今の我々から見ればたかが知れた量だろう。
加えて、書物が嵩張る竹簡であった事を考えれば、どの程度の蔵書規模を誇ったのかは推して知るべしだ。
ところで、恵施は荘子にとって論敵と言って良い人物で、五車の書は相手の博識を高く評価した言葉等ではない。
恵施の学問は雑駁なだけで詭弁的なものに過ぎなかったといい、五車の書というのも大して意味なきものだと荘子は言いたげである。
私も最近その事を痛感していて、『論語』子罕に見える「君子は多能を恥ず」を「君子は多読を恥ず」と言い換えて、自らの戒めとしている。
アカデミズムの世界では信じられない位に色んな事をよく知っている人が居るもので、そういう人は例外なく蒼流庵など比較にならない規模の蔵書を誇るけれど、物事の本質がまるで見えずに徒らに多聞博識であるだけの人が如何に多い事か。
勿論、無知である事が逆に誇るべき事かと言えばそんな事はないのだけれど。
私が言いたいのは色々な事柄に通じているというのはあくまでも結果であるべきで、知識を求める事が目的であってはならないという至極単純な事である。
随分前に読んだ本なので記憶も不確かであるけれど、昔谷沢永一氏が一冊の書物を徹底して読み込む事を称賛し、“一巻の人”という表現で、トマス・アクィナスと我が富永仲基を挙げていたのを何かの本で読んだ(たしか『資本論』の宇野弘蔵も挙げられていたように記憶する)。
そういう意味では『傷寒論』一冊に取り組んだ我が師もまた同様に一巻の人と言い得るだろう。
ただし、或る人の取り組む書物がたとえ一冊であったとしても、それに多くの注が書かれていれば、結局多くの書物に目を通す必要に迫られるようになり、結果としての多読を強いられるようになるものだ。
その結果、物知りになったところで、それを誰にも責められよう筈はない。
『易』一冊に取り組むとして、例えば筮策を以て卦を布くのに幾ら繋辞伝の大衍之数章と睨めっこしたところで具体的な所作など丸で分からないのは当然だから、朱子の筮儀から正義の解釈、はたまた根本羽嶽の復古筮法まで納得の行くまで調べて行くうち、多くの渉猟すべき書物が眼前に積まれる事になる。
勿論、多くの人がやっている三変筮の所作だけ出来ればそれでもう十分だという人が殆ど全てだろうから、それはそれで構わないにしても、物事を探求するというのは矢張そういう事で、博識を求める多読とは最初から似て非なるものと言う他なかろう。
尤も私がこれまでに読んだ書物は雑誌を除けばせいぜい千を少し超える程度の冊数だろうから、端から多読などというには程遠く、所詮は少読家のやっかみと思って頂いても差し支えない。
ところで、杜甫の「柏學士茅屋」と題した詩にも、“男児は須く読むべし五車の書”という有名な言葉があって、これだけ読めば学問修養の為に多くの書物に取り組むべしとも解せるけれど、その前に「富貴、必ず勤苦より得ん」と置かれている事からすれば、杜甫が五車の書を扱う事も荘子と大同小異であるようだ。
やはり、君子は多読を恥ずと言って別段言い過ぎではないように思われる。
もっとも此の「車」というのがトラックの類である筈はないから、案外手押し車やリヤカー程度のチャチなものかもしれないし、馬車としたところで、五台分の蔵書など今の我々から見ればたかが知れた量だろう。
加えて、書物が嵩張る竹簡であった事を考えれば、どの程度の蔵書規模を誇ったのかは推して知るべしだ。
ところで、恵施は荘子にとって論敵と言って良い人物で、五車の書は相手の博識を高く評価した言葉等ではない。
恵施の学問は雑駁なだけで詭弁的なものに過ぎなかったといい、五車の書というのも大して意味なきものだと荘子は言いたげである。
私も最近その事を痛感していて、『論語』子罕に見える「君子は多能を恥ず」を「君子は多読を恥ず」と言い換えて、自らの戒めとしている。
アカデミズムの世界では信じられない位に色んな事をよく知っている人が居るもので、そういう人は例外なく蒼流庵など比較にならない規模の蔵書を誇るけれど、物事の本質がまるで見えずに徒らに多聞博識であるだけの人が如何に多い事か。
勿論、無知である事が逆に誇るべき事かと言えばそんな事はないのだけれど。
私が言いたいのは色々な事柄に通じているというのはあくまでも結果であるべきで、知識を求める事が目的であってはならないという至極単純な事である。
随分前に読んだ本なので記憶も不確かであるけれど、昔谷沢永一氏が一冊の書物を徹底して読み込む事を称賛し、“一巻の人”という表現で、トマス・アクィナスと我が富永仲基を挙げていたのを何かの本で読んだ(たしか『資本論』の宇野弘蔵も挙げられていたように記憶する)。
そういう意味では『傷寒論』一冊に取り組んだ我が師もまた同様に一巻の人と言い得るだろう。
ただし、或る人の取り組む書物がたとえ一冊であったとしても、それに多くの注が書かれていれば、結局多くの書物に目を通す必要に迫られるようになり、結果としての多読を強いられるようになるものだ。
その結果、物知りになったところで、それを誰にも責められよう筈はない。
『易』一冊に取り組むとして、例えば筮策を以て卦を布くのに幾ら繋辞伝の大衍之数章と睨めっこしたところで具体的な所作など丸で分からないのは当然だから、朱子の筮儀から正義の解釈、はたまた根本羽嶽の復古筮法まで納得の行くまで調べて行くうち、多くの渉猟すべき書物が眼前に積まれる事になる。
勿論、多くの人がやっている三変筮の所作だけ出来ればそれでもう十分だという人が殆ど全てだろうから、それはそれで構わないにしても、物事を探求するというのは矢張そういう事で、博識を求める多読とは最初から似て非なるものと言う他なかろう。
尤も私がこれまでに読んだ書物は雑誌を除けばせいぜい千を少し超える程度の冊数だろうから、端から多読などというには程遠く、所詮は少読家のやっかみと思って頂いても差し支えない。
ところで、杜甫の「柏學士茅屋」と題した詩にも、“男児は須く読むべし五車の書”という有名な言葉があって、これだけ読めば学問修養の為に多くの書物に取り組むべしとも解せるけれど、その前に「富貴、必ず勤苦より得ん」と置かれている事からすれば、杜甫が五車の書を扱う事も荘子と大同小異であるようだ。
やはり、君子は多読を恥ずと言って別段言い過ぎではないように思われる。
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