Ekipedia
- 2021/05/01
- 15:54
分からない事、知りたい事を先ずネット検索で調べてみるというのは現代にあって誰もが第一に採る在り来たりなリサーチ方法であるから、別段それ自体を咎めるつもりはない。
ただ、それはあくまでもリサーチのとっかかりに過ぎない事を知っているべきで、検索結果の上位に反映されている為についつい覗き見てしまうWikipediaなど、何処の馬の骨とも判らぬ輩でも自由に編纂に参加出来るというシステムからして、内容の正確さを担保出来る筈がないのは自明なのだ。
実際、易関係のページも私に言わせるとおかしな記述が其処此処に散見されるのである。
易経のページから幾つか具体的に挙げてみよう。
まず、最初の第一行目にある「著者は伏羲とされている」からして怪しからぬ記述である。
到底史実と信じるに足らぬ作易伝説を鵜呑みにしてさえ、伏羲の扱いは卦画の作者に過ぎない。
陰陽二種の符号で構成される卦画が数字卦からの発展とする最近の説は一先ず置くとして、これを古代文字の原型とか、亀卜の罅裂の延長線上に捉える従来の説を採ったところで、あのように抽象的な記号の組み合わせの考案者を「著者」と表現するのは、常識的に考えてもおかしいだろう。
『周易』という以上は、誰が著者かと問われた場合、私なら迷わず文王と周公を挙げる。
三行目の「『筮』は植物である『蓍[2]』の茎の本数を用いた占いである」はまだいい。
しかし、この[2]のページ最下部の注を見ると「ノコギリソウの一種であるメドキ」とあるのは珍妙。
複数あるノコギリソウの中に「メドキ」という種類があるとでも思っているのだろうか。
ページ中ほどにある「易の成立と展開」の頭では、蓍を「キク科多年草であるノコギリソウのこと」とあって、脚注との整合性がうまく取れていないのは、同じ著者が書いていない為だろうが、やはりチグハグ感は拭えまい。
再び戻って、「易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた」とあるのも頂けない。
恐らくは、翼伝の作者を荀子のグループに比定する郭沫若の説(「周易制作時代」)辺りを取り入れたものだろうが、あたかも定説のようにして提示して良いものではない筈だ。
「『易経』というのは宋以降の名称で、儒教の経書に挙げられたためにこう呼ばれる」とあるのも笑止の至りであろう。
「易経」の名称が一般化して来るのは宋以降と見做して差し支えないが、『漢書』芸文志を見れば書名として既に「易経」が挙げられているし、更に古い『史記』の日者列伝にも「易経に通じ云々」と見えている。
そもそも『易』が儒教の経書に仲間入りを果たしたのは紀元前の昔であるが、或いは宋代に入ってからだと思っている人間がこの珍奇な記述を無責任にも書いたのだろうか。
読めば読むほど腹が立ってくる。
占法について「繋辞上伝をもとに唐の孔穎達『周易正義』や南宋の朱熹『周易本義』筮儀によって復元の試みがなされ、現在の占いはもっぱら朱熹に依っている」とあるが、現在の易占家は専ら朱子流の大衍筮法に依っているのだろうか。
どれほど無知な人間が書けばこんな記述になるのか、呆れてものも言えないとはまさに此の事だろう。
また略筮法を中筮法を簡略化したものの如くに書いているのもおかしな話だ。
「さらに簡略化した3変の略筮法もある。これは中筮法の第1変の結果をそのまま内卦(初爻から第3爻)とし」とあるが、単に八払いを二度繰り返して大成卦を得るだけの話で、「中筮法の第1変の結果をそのまま内卦とし」等とは誰が考えても無理解に基く記述と言う他ない。
続いて、立卦法の解説の延長として筮策に依る以外の方法に触れるのは良いとしても、「擲銭法が唐の賈公彦『儀礼正義』に記されている」とあるのはどうだろう。
『儀礼正義』は「3枚の硬貨を同時に投げて」卦を得る方法を説いているのか。
私が素直に読む限り、直前に「六爻を記すのに古くは木を以て地に画いた」旨の記述がある事からすれば、ここで説かれているのは立卦法としての擲銭ではなく、記卦具としての卦銭(今日使われる算木の如き用途)と見るべきだろう。
易の注釈史として「魏の王弼は卦象の解釈に拘泥する「漢易」のあり方に反対し、経文が語ろうとしている真意をくみ取ろうとする「義理易」を打ち立てた」とあるのも気に入らない。
これでは象数易に続いて義理易が出て来たように誤解する人が居ても何ら不思議ではなかろう。
王弼は確かに義理易を説く代表的な易学家であるには違いない。
しかし、それは義理易の創始者ではなく、老荘を背景に象数を排して専ら経文を人事に結び付けて説く点に新境地を開いたのであって、義理易を打ち立てたのではない筈だ。
義理易というのは、『易』を占いの書物ではなく、思想哲学の書として読み解く立場を指す訳だが、前漢の費直(王弼の易も費氏易の流れを汲む)は十翼を以て経文を解した人物であるから、これはどう考えても義理易と見做すべきだし、そもそも十翼中の彖象伝などは誰がどう見ても義理易の解釈を経文に施している。
「義理易を打ち立てた」のは断じて王弼などではない。
以上のように、Wikipediaの易に関する記述は間違いだらけ、もう少しソフトに表現したところで不正確な記述があまりにも多いのである(余談ながら、新井白蛾のページに門下の一人として谷川龍山を挙げているが、この間違いは少なくとも私が蒼流庵随想を開設した時分に見つけてから誰も訂正せぬままに放置されている)。
それなら、オマエが訂正すれば良いではないかと言われるかもしれないけれど、幾ら私が手を入れたところで、何処の誰とも判らぬ人間がそれを改悪出来るシステムになっている以上、努力がいともたやすく水泡に帰すという恐れがある訳であって、到底そんなボランティアをやる気にはなれない。
いっそ完全に自分の文責で「Ekipedia」でも開設してやろうかと思ったが、そもそも学問の成果にありつこうというのに、身銭も切らずにタダ(無料)のウェブ情報を失敬しようなどという人相手にそんな事をしてやる義理は何もない訳で、誰かが開設してくれるならそれを応援したいという気持ちは幾らか無いでもないけれど、と思っていたら既にEkipediaは開設されていたというオチ。
ただ、それはあくまでもリサーチのとっかかりに過ぎない事を知っているべきで、検索結果の上位に反映されている為についつい覗き見てしまうWikipediaなど、何処の馬の骨とも判らぬ輩でも自由に編纂に参加出来るというシステムからして、内容の正確さを担保出来る筈がないのは自明なのだ。
実際、易関係のページも私に言わせるとおかしな記述が其処此処に散見されるのである。
易経のページから幾つか具体的に挙げてみよう。
まず、最初の第一行目にある「著者は伏羲とされている」からして怪しからぬ記述である。
到底史実と信じるに足らぬ作易伝説を鵜呑みにしてさえ、伏羲の扱いは卦画の作者に過ぎない。
陰陽二種の符号で構成される卦画が数字卦からの発展とする最近の説は一先ず置くとして、これを古代文字の原型とか、亀卜の罅裂の延長線上に捉える従来の説を採ったところで、あのように抽象的な記号の組み合わせの考案者を「著者」と表現するのは、常識的に考えてもおかしいだろう。
『周易』という以上は、誰が著者かと問われた場合、私なら迷わず文王と周公を挙げる。
三行目の「『筮』は植物である『蓍[2]』の茎の本数を用いた占いである」はまだいい。
しかし、この[2]のページ最下部の注を見ると「ノコギリソウの一種であるメドキ」とあるのは珍妙。
複数あるノコギリソウの中に「メドキ」という種類があるとでも思っているのだろうか。
ページ中ほどにある「易の成立と展開」の頭では、蓍を「キク科多年草であるノコギリソウのこと」とあって、脚注との整合性がうまく取れていないのは、同じ著者が書いていない為だろうが、やはりチグハグ感は拭えまい。
再び戻って、「易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた」とあるのも頂けない。
恐らくは、翼伝の作者を荀子のグループに比定する郭沫若の説(「周易制作時代」)辺りを取り入れたものだろうが、あたかも定説のようにして提示して良いものではない筈だ。
「『易経』というのは宋以降の名称で、儒教の経書に挙げられたためにこう呼ばれる」とあるのも笑止の至りであろう。
「易経」の名称が一般化して来るのは宋以降と見做して差し支えないが、『漢書』芸文志を見れば書名として既に「易経」が挙げられているし、更に古い『史記』の日者列伝にも「易経に通じ云々」と見えている。
そもそも『易』が儒教の経書に仲間入りを果たしたのは紀元前の昔であるが、或いは宋代に入ってからだと思っている人間がこの珍奇な記述を無責任にも書いたのだろうか。
読めば読むほど腹が立ってくる。
占法について「繋辞上伝をもとに唐の孔穎達『周易正義』や南宋の朱熹『周易本義』筮儀によって復元の試みがなされ、現在の占いはもっぱら朱熹に依っている」とあるが、現在の易占家は専ら朱子流の大衍筮法に依っているのだろうか。
どれほど無知な人間が書けばこんな記述になるのか、呆れてものも言えないとはまさに此の事だろう。
また略筮法を中筮法を簡略化したものの如くに書いているのもおかしな話だ。
「さらに簡略化した3変の略筮法もある。これは中筮法の第1変の結果をそのまま内卦(初爻から第3爻)とし」とあるが、単に八払いを二度繰り返して大成卦を得るだけの話で、「中筮法の第1変の結果をそのまま内卦とし」等とは誰が考えても無理解に基く記述と言う他ない。
続いて、立卦法の解説の延長として筮策に依る以外の方法に触れるのは良いとしても、「擲銭法が唐の賈公彦『儀礼正義』に記されている」とあるのはどうだろう。
『儀礼正義』は「3枚の硬貨を同時に投げて」卦を得る方法を説いているのか。
私が素直に読む限り、直前に「六爻を記すのに古くは木を以て地に画いた」旨の記述がある事からすれば、ここで説かれているのは立卦法としての擲銭ではなく、記卦具としての卦銭(今日使われる算木の如き用途)と見るべきだろう。
易の注釈史として「魏の王弼は卦象の解釈に拘泥する「漢易」のあり方に反対し、経文が語ろうとしている真意をくみ取ろうとする「義理易」を打ち立てた」とあるのも気に入らない。
これでは象数易に続いて義理易が出て来たように誤解する人が居ても何ら不思議ではなかろう。
王弼は確かに義理易を説く代表的な易学家であるには違いない。
しかし、それは義理易の創始者ではなく、老荘を背景に象数を排して専ら経文を人事に結び付けて説く点に新境地を開いたのであって、義理易を打ち立てたのではない筈だ。
義理易というのは、『易』を占いの書物ではなく、思想哲学の書として読み解く立場を指す訳だが、前漢の費直(王弼の易も費氏易の流れを汲む)は十翼を以て経文を解した人物であるから、これはどう考えても義理易と見做すべきだし、そもそも十翼中の彖象伝などは誰がどう見ても義理易の解釈を経文に施している。
「義理易を打ち立てた」のは断じて王弼などではない。
以上のように、Wikipediaの易に関する記述は間違いだらけ、もう少しソフトに表現したところで不正確な記述があまりにも多いのである(余談ながら、新井白蛾のページに門下の一人として谷川龍山を挙げているが、この間違いは少なくとも私が蒼流庵随想を開設した時分に見つけてから誰も訂正せぬままに放置されている)。
それなら、オマエが訂正すれば良いではないかと言われるかもしれないけれど、幾ら私が手を入れたところで、何処の誰とも判らぬ人間がそれを改悪出来るシステムになっている以上、努力がいともたやすく水泡に帰すという恐れがある訳であって、到底そんなボランティアをやる気にはなれない。
いっそ完全に自分の文責で「Ekipedia」でも開設してやろうかと思ったが、そもそも学問の成果にありつこうというのに、身銭も切らずにタダ(無料)のウェブ情報を失敬しようなどという人相手にそんな事をしてやる義理は何もない訳で、誰かが開設してくれるならそれを応援したいという気持ちは幾らか無いでもないけれど、と思っていたら既にEkipediaは開設されていたというオチ。
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