師は師たり、弟子は弟子たり
- 2021/06/01
- 23:32
弟子に裏切られたとコボす師匠を屡々見かける。
つい先日もそんな話を身近に聞く機会があったが、私に言わせれば弟子に師が裏切られたのではない。
最初から師も弟子も存在していなかったのだと言えば話が何やら哲学的な様相を帯びて来るけれど、至って簡明至極な話で、弟子だ師だというのは端から当事者の思い込みに過ぎなかったのではないか、少なくとも私などにはそんな風にしか思えないのである。
『論語』顔淵第十二には「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」とあって、風火家人の彖伝に見える文句もよく似たフレーズであるが、これを少々言い換えれば「師は師たり、弟子は弟子たり」となろうか。
結局は、師が師であり亦弟子が弟子であって初めて師弟の関係が成立する訳で、教えたがる愚者の類はそもそも師たり得ないから、それで行くと弟子も持ちえない事になる訳だ。
私は易学より先に手を付けたのが漢方であった関係で医学分野の方により多くの知友を持つが、弟子に裏切られたと嘆く師を少なからず見て来た。
しかし、上記の理由で私はさして同情の余地を見出していない。
もう少し厳しい言い方をすれば、医学伝授の根本は「其の人を得ざれば伝えず」にあって、仮に師が弟子に裏切られたとするなら、その責めを負うべきは孰れかと言えば弟子ではなく師の方であると私は考える。
勿論師とて人間だから時には人を見誤る事だって無いとは言えないにしても、そう頻繁に弟子に裏切られるというなら、そもそも医学伝授の何たるかが丸で分かって居ない御仁だと言う他なく、結局師が師たり得ないから弟子も持ちえないという命題に立ち返るしかない事になろう。
実際に、『史記』の扁鵲倉公列伝を開いてみるといい。
そこに見えている医学伝授の形態は「其の人」に伝えるという唯だ其の事に尽きている。
また、東洋医学の原典たる『黄帝内経』の霊枢官能篇第七十三には、雷公と黄帝の問答として、「雷公、黄帝に問いて曰く、鍼論に曰く、其の人を得れば乃ち伝え、其の人に非ざれば言う勿れ、と。何を以て其の伝うるべきを知るか」とあるのだが、これに対する黄帝の答えが面白く、「其の人を得ざれば其の功成らず、其の師、名無からん。故に曰く、其の人を得れば乃ち言い、其の人に非ざれば伝うる勿れ」と、ふさわしくない人に教えると師の名声に傷がつくという風な事を言っている。
いずれにせよ、医学伝授の根幹(もっともこれは医学分野に限った事ではない筈だが)が「其の人」を得る事にあるとするなら、弟子に裏切られたのは弟子の罪ではなく、むしろ童蒙を瀆した師の罪こそ責められて然るべきではないのか。
繰り返しになるが、師とて人の子である以上「其の人」を見誤るという事が時に避けがたいにせよ、頻繁に「裏切られる」(と本人が感じている)経験が繰り返されるというのなら、それはもう間違いなく、師が師たる資格を有していないと言う他はない。
そもそも、東洋の伝統医学分野に限って言うなら、必読たる『黄帝内経』も扁鵲倉公列伝も何ら解していない証である、と言っては言い過ぎか。
古代の医学伝授について御興味ある方は、山田慶児氏の「古代中国における医学の伝授について」(『漢方研究』1979年10月11月号、のち『夜鳴く鳥』に収録)を御読みになると良い。
蛇足ながら、「其の人」を得るには、それ以前に師たる者が伝えるに価する何物かを持ち合わせていなくては御話にならない事は言うまでもない事である。
つい先日もそんな話を身近に聞く機会があったが、私に言わせれば弟子に師が裏切られたのではない。
最初から師も弟子も存在していなかったのだと言えば話が何やら哲学的な様相を帯びて来るけれど、至って簡明至極な話で、弟子だ師だというのは端から当事者の思い込みに過ぎなかったのではないか、少なくとも私などにはそんな風にしか思えないのである。
『論語』顔淵第十二には「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」とあって、風火家人の彖伝に見える文句もよく似たフレーズであるが、これを少々言い換えれば「師は師たり、弟子は弟子たり」となろうか。
結局は、師が師であり亦弟子が弟子であって初めて師弟の関係が成立する訳で、教えたがる愚者の類はそもそも師たり得ないから、それで行くと弟子も持ちえない事になる訳だ。
私は易学より先に手を付けたのが漢方であった関係で医学分野の方により多くの知友を持つが、弟子に裏切られたと嘆く師を少なからず見て来た。
しかし、上記の理由で私はさして同情の余地を見出していない。
もう少し厳しい言い方をすれば、医学伝授の根本は「其の人を得ざれば伝えず」にあって、仮に師が弟子に裏切られたとするなら、その責めを負うべきは孰れかと言えば弟子ではなく師の方であると私は考える。
勿論師とて人間だから時には人を見誤る事だって無いとは言えないにしても、そう頻繁に弟子に裏切られるというなら、そもそも医学伝授の何たるかが丸で分かって居ない御仁だと言う他なく、結局師が師たり得ないから弟子も持ちえないという命題に立ち返るしかない事になろう。
実際に、『史記』の扁鵲倉公列伝を開いてみるといい。
そこに見えている医学伝授の形態は「其の人」に伝えるという唯だ其の事に尽きている。
また、東洋医学の原典たる『黄帝内経』の霊枢官能篇第七十三には、雷公と黄帝の問答として、「雷公、黄帝に問いて曰く、鍼論に曰く、其の人を得れば乃ち伝え、其の人に非ざれば言う勿れ、と。何を以て其の伝うるべきを知るか」とあるのだが、これに対する黄帝の答えが面白く、「其の人を得ざれば其の功成らず、其の師、名無からん。故に曰く、其の人を得れば乃ち言い、其の人に非ざれば伝うる勿れ」と、ふさわしくない人に教えると師の名声に傷がつくという風な事を言っている。
いずれにせよ、医学伝授の根幹(もっともこれは医学分野に限った事ではない筈だが)が「其の人」を得る事にあるとするなら、弟子に裏切られたのは弟子の罪ではなく、むしろ童蒙を瀆した師の罪こそ責められて然るべきではないのか。
繰り返しになるが、師とて人の子である以上「其の人」を見誤るという事が時に避けがたいにせよ、頻繁に「裏切られる」(と本人が感じている)経験が繰り返されるというのなら、それはもう間違いなく、師が師たる資格を有していないと言う他はない。
そもそも、東洋の伝統医学分野に限って言うなら、必読たる『黄帝内経』も扁鵲倉公列伝も何ら解していない証である、と言っては言い過ぎか。
古代の医学伝授について御興味ある方は、山田慶児氏の「古代中国における医学の伝授について」(『漢方研究』1979年10月11月号、のち『夜鳴く鳥』に収録)を御読みになると良い。
蛇足ながら、「其の人」を得るには、それ以前に師たる者が伝えるに価する何物かを持ち合わせていなくては御話にならない事は言うまでもない事である。
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