蓍筮再論
- 2021/06/13
- 09:08
我々は漠然と古くは易占の立卦具として蓍を用いていたのが後に竹で作った筮で代用されるようになったという風に考えているが、本当にそうなのか。
金谷治氏は「筮は、必ずしも今日の易筮そのものを意味するとは限らないが、おそらく巫によって発達してきた一種のうらないであることはまちがいない。それは竹と関係していたのであるが、蓍に関係するうらないと混合したのである。いずれも神聖な植物として、それぞれに特定の神意を伝えるものと考えられていたのであろう。」(『易の話』68頁)と云い、蓍と筮とは本来別々のものであったというのだが、其の根拠が明示されておらず、これは思うに、繋辞伝において立卦具を表す文字として蓍と筮の二字がある事からの単なる当て推量ではないかという気がする。
松井羅州は、最初から立卦具は竹製であり、蓍という字は竹冠が本当だとして文字を改めているが、これは羅州お得意の牽強付会で、今日誰も支持せぬ奇説という他ない。
また、『本草綱目』蓍実の項で、李時珍は『博物志』の記述「末が本より太いものを上とする。次は蒿であり、次は荊であって、皆満月の時に浴する」を引き、「して見れば、卦を数えるに蓍のないときは荊、蒿を代用してもよいのである」(『国訳本草綱目』)と言っているけれど、蓍の代用品として竹を挙げていないのは、支那人には蓍と筮が別のものであるという発想がなかったのではないかと思えて来るのだ。
日本は朱子学の影響を強く受け、我が国易学中興の祖たる新井白蛾も朱子学者を以て任じているけれど、朱子の『本義』巻末に附された筮儀では「蓍五十莖」とあるから、これもやはり竹製ではなく、蓍の茎を用いた立卦具と考えられるし、『朱子語類』などを覗き見ても竹ひご状のものを以て蓍策の代用とする事については触れていないのである。
また、『新修本草』蓍実の項に「以其莖為筮」とある事からすれば、植物としては「蓍」で、その茎を加工して占具にしたものが「筮」であるという認識だったのではなかろうか。
ここから考えると、記録に残る限りでは山崎闇斎が竹製のものを用いて筮儀の解説を行ったという辺りが、所謂“筮竹”のもっとも古い記述であるかも知れず、私の推論が正鵠を射たものであるとしたら、賽その他の立卦具で占う者を上から見下す筮竹至上主義者などは実に滑稽なものという他なくなるのだが。
ところで、実際にやってみれば判る事だが、メドハギの茎は手でシゴけば直ちに真っすぐになって立卦具として使えるのに対し、竹を細く割ったものの角を取って筮竹に仕立てるのは遥かに手間がかかるから、筮竹の代用を蓍にするなら兎も角、逆というのでは納得出来ないという人が居るかもしれない。
高山植物であるノコギリソウならいざ知らず、メドハギ等そこらにいくらでも生えている訳で、わざわざ手間の掛かる筮竹を作る必要など無さそうに思える。
しかし、これは現代の我々にそう映るというだけで、一昔前はこんなにメドハギは身近ではなかったらしい。
というのは、メドハギは工事の後などに土留めとして植えられる場合が多く、今我々が身近に見るものの大部分は此の土留めとして植えられたものの野生化であって、昔はこうまで沢山は見られなかったようだ。
江戸時代の諸書に、やれ比叡山だの丹波亀山だの筑波の亀之岳だのを蓍の名産地として挙げているのも、当時どこにでも生えている代物ではなかった事を物語っているような気がする。
金谷治氏は「筮は、必ずしも今日の易筮そのものを意味するとは限らないが、おそらく巫によって発達してきた一種のうらないであることはまちがいない。それは竹と関係していたのであるが、蓍に関係するうらないと混合したのである。いずれも神聖な植物として、それぞれに特定の神意を伝えるものと考えられていたのであろう。」(『易の話』68頁)と云い、蓍と筮とは本来別々のものであったというのだが、其の根拠が明示されておらず、これは思うに、繋辞伝において立卦具を表す文字として蓍と筮の二字がある事からの単なる当て推量ではないかという気がする。
松井羅州は、最初から立卦具は竹製であり、蓍という字は竹冠が本当だとして文字を改めているが、これは羅州お得意の牽強付会で、今日誰も支持せぬ奇説という他ない。
また、『本草綱目』蓍実の項で、李時珍は『博物志』の記述「末が本より太いものを上とする。次は蒿であり、次は荊であって、皆満月の時に浴する」を引き、「して見れば、卦を数えるに蓍のないときは荊、蒿を代用してもよいのである」(『国訳本草綱目』)と言っているけれど、蓍の代用品として竹を挙げていないのは、支那人には蓍と筮が別のものであるという発想がなかったのではないかと思えて来るのだ。
日本は朱子学の影響を強く受け、我が国易学中興の祖たる新井白蛾も朱子学者を以て任じているけれど、朱子の『本義』巻末に附された筮儀では「蓍五十莖」とあるから、これもやはり竹製ではなく、蓍の茎を用いた立卦具と考えられるし、『朱子語類』などを覗き見ても竹ひご状のものを以て蓍策の代用とする事については触れていないのである。
また、『新修本草』蓍実の項に「以其莖為筮」とある事からすれば、植物としては「蓍」で、その茎を加工して占具にしたものが「筮」であるという認識だったのではなかろうか。
ここから考えると、記録に残る限りでは山崎闇斎が竹製のものを用いて筮儀の解説を行ったという辺りが、所謂“筮竹”のもっとも古い記述であるかも知れず、私の推論が正鵠を射たものであるとしたら、賽その他の立卦具で占う者を上から見下す筮竹至上主義者などは実に滑稽なものという他なくなるのだが。
ところで、実際にやってみれば判る事だが、メドハギの茎は手でシゴけば直ちに真っすぐになって立卦具として使えるのに対し、竹を細く割ったものの角を取って筮竹に仕立てるのは遥かに手間がかかるから、筮竹の代用を蓍にするなら兎も角、逆というのでは納得出来ないという人が居るかもしれない。
高山植物であるノコギリソウならいざ知らず、メドハギ等そこらにいくらでも生えている訳で、わざわざ手間の掛かる筮竹を作る必要など無さそうに思える。
しかし、これは現代の我々にそう映るというだけで、一昔前はこんなにメドハギは身近ではなかったらしい。
というのは、メドハギは工事の後などに土留めとして植えられる場合が多く、今我々が身近に見るものの大部分は此の土留めとして植えられたものの野生化であって、昔はこうまで沢山は見られなかったようだ。
江戸時代の諸書に、やれ比叡山だの丹波亀山だの筑波の亀之岳だのを蓍の名産地として挙げているのも、当時どこにでも生えている代物ではなかった事を物語っているような気がする。
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