俺たちは天子じゃない
- 2021/06/25
- 18:26
許慎の『説文解字』に「天子の蓍は九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺」とあって、身分によって用いる蓍策の長さが規定されているが、これは支那人の好む勿体ぶったお決まりの数合わせで、種明かしをすれば、亀卜に用いる亀甲は陰の物であるから対になる蓍は陽となり、そこで天子の蓍が最大の陽数である九となって、あとは身分が下がるに従い小さい奇数になる仕組みである(ちなみに『禮三正記』には「天子の亀は長さ一尺二寸、諸侯は一尺、大夫は八寸、士は六寸」とある)。
これで行けば、士の下には庶人がある筈なので、庶人の蓍は一尺となる計算だが、繋辞伝でも「百姓は日々に用いてしかも知らず」等と下々の者は易理なんか分かりっこないと散々馬鹿にされているから、士以下の一般大衆はそもそも蓍策など手にする事が想定されておらず、士の三尺で打ち止めになっているのであろう。
ところで、この尺は古代の尺であるから、我々が一尺と聞いて思い浮かべる約30cmよりは幾分短い。
漢尺は出土資料の実測から約23cmと確定していて、この長さは戦国時代から変わっていないそうだ。
周尺は更に短かったようで、呉承洛の『中国度量衡史』によれば19.91cmと推定されている。
ちなみに、手元の紀藤先生の御遺品の筮竹は35cmであるから、漢尺・周尺いずれを適用しても『説文』の長さには合致しない。
『説文』の数字はあくまで数字遊びであるから、あまり真に受ける必要もなかろうが、仮に一尺を20cmとすれば士の蓍策の60cmくらいはメドハギで楽勝。
士大夫の類ですらない易者諸氏は分を弁えてせいぜい庶人の策23cmくらいで満足すべき筈であるが、現今の諸センセイはいささか不遜なサイズをお使いになっているということになりそうだ。
ところで、メドハギは長さ1mを超えるものも時折見かけるが、天子の蓍九尺となるとやはり流石に難しいように思う。
ただし、どんな動植物も倍数体や特殊な環境下で巨大化するものがある為、九尺が数合わせの妄想とばかりは言い切れない。
もっとも我々は天子ではないので、九尺の蓍など無縁であるからどうでも良いのだけれど。
これで行けば、士の下には庶人がある筈なので、庶人の蓍は一尺となる計算だが、繋辞伝でも「百姓は日々に用いてしかも知らず」等と下々の者は易理なんか分かりっこないと散々馬鹿にされているから、士以下の一般大衆はそもそも蓍策など手にする事が想定されておらず、士の三尺で打ち止めになっているのであろう。
ところで、この尺は古代の尺であるから、我々が一尺と聞いて思い浮かべる約30cmよりは幾分短い。
漢尺は出土資料の実測から約23cmと確定していて、この長さは戦国時代から変わっていないそうだ。
周尺は更に短かったようで、呉承洛の『中国度量衡史』によれば19.91cmと推定されている。
ちなみに、手元の紀藤先生の御遺品の筮竹は35cmであるから、漢尺・周尺いずれを適用しても『説文』の長さには合致しない。
『説文』の数字はあくまで数字遊びであるから、あまり真に受ける必要もなかろうが、仮に一尺を20cmとすれば士の蓍策の60cmくらいはメドハギで楽勝。
士大夫の類ですらない易者諸氏は分を弁えてせいぜい庶人の策23cmくらいで満足すべき筈であるが、現今の諸センセイはいささか不遜なサイズをお使いになっているということになりそうだ。
ところで、メドハギは長さ1mを超えるものも時折見かけるが、天子の蓍九尺となるとやはり流石に難しいように思う。
ただし、どんな動植物も倍数体や特殊な環境下で巨大化するものがある為、九尺が数合わせの妄想とばかりは言い切れない。
もっとも我々は天子ではないので、九尺の蓍など無縁であるからどうでも良いのだけれど。
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