筮筒の話
- 2021/07/07
- 18:01
筮筒は古く“韇”と呼ばれて、繋辞伝大衍之数章にこそ登場しないが、『儀礼』の士冠礼などに見えている。
今東光の「筮具抄」によると素材は黄楊または桜木を用いて作り、竹筒を用いる事を嫌うというが、松井羅州の『筮儀約式通解』には「竹筒。或ハ堅木。或ハ布漆。随意ニスベシ」とあって素材は適当で良いとしている。
また、古い筮筒は台座部分が亀の彫刻になっている豪華なものがあり、今氏「筮具抄」にも写真二種が掲載され、以前ヤフオクで20万くらいのものが出品されているのを見た事があるように思う。
「筮具抄」より
古くは“蓍亀”と一緒に呼びならわしたように、両者は関係があると考えられていて、『史記』亀策伝は古書を引用して「上に擣蓍あれば下に神亀あり」と、蓍の下には亀が居るという言い伝えを載せている。
恐らく筮筒の台座を亀にしているのはこれが理由であろう。
「筮具抄」の写真を見ていて、私は2013年の年末に掃苔した井田亀学の墓碑を思い出した。
あの時は全く気が付かなかったが、これは筮筒を模した墓碑だったのではあるまいか。
ところで、紀元書房製もバズーカも竹節状の装飾が筒部分に施されている。
実は、我々が今日用いる筮筒は蓋のついていない開放系の仕様だが、昔の韇は蓋を被せるようになっていたらしく、この本体と蓋とが合わさる部分が今日竹節状の装飾に置き換わっているのではなかろうか。
左:明治書院『儀礼』より 右:『筮儀約式通解』より
高島嘉右衛門の用いている筮筒も今のものとは少し違っているようだ。
写真を見る限り、やけに大きな四角い台座がついていて、これは確かに安定度抜群な気がするが、他にこのような仕様のものは今のところお目にかかって居ない。
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