ノイガンのはなし
- 2014/03/14
- 21:40
蒙色望診は二代目玄龍子先生の創案であり、蒙色を消去する解蒙治療においては、灸法を用いられた。
しかし、この玄龍子流の灸法はとてつもなく熱くて耐えがたい苦痛を伴うものだったらしい。
三代目がインフルエンザに罹った際、御自身の背中を例の画像診断装置で撮影した写真を見せて頂いたことがあるが、最も私の注意を引いたのは、はっきりと写りこんだ蒙色の黒点ではなく、三代目の背中に無数に残された灸痕であった。
子供の背中を写したものなら、誰もが煙草による折檻を疑うような凄まじい写真であったが、私の世代の人間には奇異に映るだけで、一昔前の世代にはさして珍しくないのかもしれないけれど。
せんねん灸ですら、部位とその日の体調次第では、ギブアップすることもある私のような意志薄弱な人間には、耐えられるものではなさそうだ。
二代目が、鍼による解蒙でなく灸法を用いたのには訳があって、鍼を用いて解蒙するには、蒙色の中心点に局限して打鍼する必要性があるため、余程正確に捉えることが出来ないと効果が無い為らしい。
そこで、二代目が考え出したのが塗布薬による解蒙で、苦心の末、昭和27年に「ノイガン」が完成した。
最初に試作されたノイガンは液状で、筆で蒙色に塗っていたそうだが、厚生省の認可を得るには軟膏状にする必要があった為、薬剤師であった川本久嗣先生と竹安輝高先生が協力して、軟膏として完成させたのである。
用途はもちろん解蒙であるが、法的な効能表記はそうもいかないので、厚生省への届け出としては「神経痛(肋間神経痛・顔面神経痛・坐骨神経痛)リユーマチ・肩こり・うちみ・捻挫・歯痛・腰痛・関節炎・運動後の筋肉痛及関節痛」であった。
このノイガン軟膏は、のちに「シークレットメグロ」と名前を変え(あまりセンスの良いネーミングとは・・・)、三代目が製造を引き継がれたが、諸事情により生産中止になった際、これを家伝薬としてレシピの公開を拒まれた為、現在は入手が不可能であり、製法を知るのも三代目玄龍子・目黒一三先生のみである。
レシピの公開を拒まれたのは、狭量と映るかもしれないが、私はそうは思わない。
経済苦に悩まされ続けた二代目にとって、自身の書物の著作権とノイガンの製法は、遺族に遺してあげられる数少ない遺産だったに違いない。
また、玄龍子を名乗った偽書が流行していたことも、秘密主義に向かった要因であったのだろうと思う。
紀藤先生の御子息宅には、まだ少しオリジナルのノイガン軟膏が残されており、大切に使っておられるようだ。
紀藤先生の御子息は蒙色望診をマスターしている訳ではないのだが、ノイガンは火傷に効果テキメンで、塗ると跡形もなく治ってしまうという。
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