ケロクの話
- 2021/07/24
- 10:20
我々は筮竹を立てかける器具について、ケロクケロクと呼んで怪しまないけれど、これもそれほど古くからあるものではないようであるし、名称も我が国に於ける俗称に過ぎない。
実際、『儀礼』士冠礼を見てもそれらしい占具は用いられていない事が判る。
今日のケロクの原型の初出は管見の限りでは朱子であるらしいが、名称は「木格」となっていて、馬場信武『易学啓蒙図説』の図が判り易い。
我らが麒麟ケロクの原型であるが、指定されているサイズはかなりカサがあって今日のケロクに慣れ親しんだ者には奇異にさえ映る大きさである。
九鬼盛隆はさすがにこれでは大きすぎると思ったのだろう、実用的なサイズで製作したと見えて『筮法詳解』で自らのケロクのサイズを長さ一尺二寸、高さ一寸八分としており、麒麟ケロクよりも幾分小さいものを用いていたようだ(ちなみに九鬼ケロクの素材は黒檀とある)。
ただし、「ケロク」の名称はおかしいとして、「掛筮」の語を用いている。
これは尤もな事で、ケロクは漢字で書くと「掛扐」であり、いずれも繋辞伝の大衍之数章に出ている文字であるが、朱子の復元した大衍筮法に於いては、二分して右に置いた地策のほうから一本を取って、左手の小指と薬指の間に「掛ける」のが「掛」、天策を四払いした余りを中指と薬指、人差指と中指の間に挟むのが「扐」であるからだ。
勿論、最終的には掛けた策も扐した策も一緒にして帰される事になるので、これを「掛扐器」と呼んで差し支えないと考える向きもあるには違いないが、朱子がこれに「木格」の名称を与えているのは注意しておいて良い。
これは松井羅州の『筮儀約式通解』に見えている図で、サイズが現実的なものに縮小されたと思しき点以外は、朱子流の木格とそれほど変わらないもののようであり、名称も羅州は「木格」として「ケロク」とは呼んでいないが、「木格ノ寸尺制式 口伝」とあって、サイズにまで勿体ぶった口伝云々を言う辺りが如何にもハッタリ屋の羅州らしい。
次世代の谷川龍山の時代になって、ようやくケロクは名称も仕様も現在の我々が知るものになって来る。
一枚板では持ち運びに不便な為であろう、二つに分かれているのだが、面白いのは現代の易者が用いる二刻のものが「ロク」で、大衍筮法の際だけ使う三刻のものは「ケ」という風に、名称が別々になっている点だ(そうすると庵主が過って洗濯してしまった一刻のものは何と呼べば良いのだろう?)。
松田龍山『易象大林』にもそのようにある。
木格の名称をケロク器に変えたのが真勢の系統であるのかどうかは現時点では史料を十分に渉猟出来ていないので判らないが、江戸後期に現在のケロクの様式と名称が出て来たのは間違いないようだ。
実際、『儀礼』士冠礼を見てもそれらしい占具は用いられていない事が判る。
今日のケロクの原型の初出は管見の限りでは朱子であるらしいが、名称は「木格」となっていて、馬場信武『易学啓蒙図説』の図が判り易い。
『易学啓蒙図説』より
我らが麒麟ケロクの原型であるが、指定されているサイズはかなりカサがあって今日のケロクに慣れ親しんだ者には奇異にさえ映る大きさである。
『易学啓蒙図説』より
九鬼盛隆はさすがにこれでは大きすぎると思ったのだろう、実用的なサイズで製作したと見えて『筮法詳解』で自らのケロクのサイズを長さ一尺二寸、高さ一寸八分としており、麒麟ケロクよりも幾分小さいものを用いていたようだ(ちなみに九鬼ケロクの素材は黒檀とある)。
ただし、「ケロク」の名称はおかしいとして、「掛筮」の語を用いている。
これは尤もな事で、ケロクは漢字で書くと「掛扐」であり、いずれも繋辞伝の大衍之数章に出ている文字であるが、朱子の復元した大衍筮法に於いては、二分して右に置いた地策のほうから一本を取って、左手の小指と薬指の間に「掛ける」のが「掛」、天策を四払いした余りを中指と薬指、人差指と中指の間に挟むのが「扐」であるからだ。
勿論、最終的には掛けた策も扐した策も一緒にして帰される事になるので、これを「掛扐器」と呼んで差し支えないと考える向きもあるには違いないが、朱子がこれに「木格」の名称を与えているのは注意しておいて良い。
『筮儀約式通解』より
これは松井羅州の『筮儀約式通解』に見えている図で、サイズが現実的なものに縮小されたと思しき点以外は、朱子流の木格とそれほど変わらないもののようであり、名称も羅州は「木格」として「ケロク」とは呼んでいないが、「木格ノ寸尺制式 口伝」とあって、サイズにまで勿体ぶった口伝云々を言う辺りが如何にもハッタリ屋の羅州らしい。
『周易本筮指南』より
次世代の谷川龍山の時代になって、ようやくケロクは名称も仕様も現在の我々が知るものになって来る。
一枚板では持ち運びに不便な為であろう、二つに分かれているのだが、面白いのは現代の易者が用いる二刻のものが「ロク」で、大衍筮法の際だけ使う三刻のものは「ケ」という風に、名称が別々になっている点だ(そうすると庵主が過って洗濯してしまった一刻のものは何と呼べば良いのだろう?)。
松田龍山『易象大林』にもそのようにある。
木格の名称をケロク器に変えたのが真勢の系統であるのかどうかは現時点では史料を十分に渉猟出来ていないので判らないが、江戸後期に現在のケロクの様式と名称が出て来たのは間違いないようだ。
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