“ノイガン”が出来るまで
- 2014/03/15
- 12:01
~~~~~~~~~~前略~~~~~~~~~~
発明には苦心がつきもので、此のノイガンも、はじめは真黒な練り薬でした。
それを厚さ1.5センチも布につけ、蒙色の出ている皮膚にペッタリ貼ったものでした。
この薬は浸透力が強いので、すぐにカラカラにかわいて、真黒な塊がポロポロ落ち、白い肌着やシーツが忽ち汚れました。
「良く効くけれど、真黒になるのは叶わない・・・・」
と試用した人が苦情を言います。
痛くて堪らないときには、そんな苦情どころではないでしょうが、文句が出るというのは、病気が快くなった証拠でしょう・・・とは言うものの、病人を看護し汚れものを洗濯するのはたいてい御婦人です。
もともとフェミニストの私などそれが気になって
「薬効が減じないように何とか脱色出来ませんか」
と目黒先生に一段の研究を要望した一人です。
そのうち、目黒先生が、三十オンスほどの液体を小壜に容れて来て、
「出来た出来た、液状にしても薬効は変らないよ」
と、居合せた人の蒙色点に小さな筆で塗ってみせました。
しばらくこれが続きましたが、此の液体、濁っていて少々臭い。
「この濁りと匂いを除らなければ・・・」
と又、注文を出しました。
多くの病者に使えるようにするためには<薬効は申し分なくても>これではなりません。
「君の注文は全くむずかしいなあ」
ボヤキながらも苦心の末、一年ほど前に漸く山吹色の無臭の原液を作ることに成功されました。
そこで薬学を専攻したK薬学士、T薬学士の二人を紹介し、厚生省から製造許可を得た「軟膏状」にすることが出来たのです。
~~~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~
チューブの一つ一つに、能書(のうしょ)と共につけた図は(只今特許出願中ですが)人体図と、それに合せてみる蒙色点表示図でこれには目黒先生もたいへん苦心されました。
今迄どんな薬にも、これだけのものは無かった筈です。
これならば、どなたでも使えるわけで、有縁の人々は喜んで試み、其の効果を充分認めました。
次は、値段です。
目黒先生が実験用に作ってこられたものは、たいへん高くかかり、一般には向きません。
此の方も大量に作ることによって漸く現在の価格にすることが可能になりました。
はじめに書きましたように、出来たばかりのころから三年ほど前までは布に部厚く塗っていたのですが、いまのは一回に0.5ミリぐらい塗って貰います。
それもケチケチ摺り込んだりしないで、三分ぐらいしたら拭き取り、又新しくつけ三分ほどしてそれも拭きとり、三回目に塗ったのは五分ぐらい塗っておいてから拭取って貰うのが一番効果的です。(これは大量に消耗させようというようなガメツイ魂胆ではさらさらなく、浸透力が強いから粕を除けて新しいのを塗ると良いからです。)
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