得卦と占考
- 2021/09/15
- 20:02
紀藤元之介氏のような不応卦否定論者にとって得卦というのは絶対的なものであるらしく、誤占は読卦の未熟によって生じる現象であると解されているようだが、いずれの論陣においても得卦と占考が分断されているらしく思われる点には少々気になるところがないでもない。
前回の記事で、揲筮時に占者の手元に何者かが降臨している可能性について言及したが、この何者かは得卦にのみ関わって来て占考には一切ノータッチだ等と言うことは寧ろ考え難いように思われる。
だいたいに於いて霊的啓示というのは人間の意識に直接働きかけて来るものであり、それが占考時にも直接読卦の手がかりを与えているという考えは奇妙でもなんでもない。
思えば、自ら執った過去の筮占の記録を振り返ってみても、名占斷を自負して差し支えないような事例の中に、今にして思えば何故このようなイレギュラーな読みをしたのかと自分でも不思議に思うものが少なくないようだ。
多くの人は筮や賽を用いた問いかけに対して何故答えが示されるのか不思議に思うあまりに占考というものを甚だ人為の所産と捉えがちであるけれど、考えてみればあのような象徴的なものから正しい答えを引き出すというのも充分に不可思議な面があるように思う(勿論、占者が豊富な観卦法を会得しているというのが前提の話で、インスピレーションを与えようにも選択可能な読卦の手法に乏しければ、意味のある働きかけが困難になる訳だが)。
私は未だに易神めいた存在を信じてはいないが、得卦と占考を完全に分断したものと考えるべきではないのではないかというのが少なくとも現時点での認識だったりする。
前回の記事で、揲筮時に占者の手元に何者かが降臨している可能性について言及したが、この何者かは得卦にのみ関わって来て占考には一切ノータッチだ等と言うことは寧ろ考え難いように思われる。
だいたいに於いて霊的啓示というのは人間の意識に直接働きかけて来るものであり、それが占考時にも直接読卦の手がかりを与えているという考えは奇妙でもなんでもない。
思えば、自ら執った過去の筮占の記録を振り返ってみても、名占斷を自負して差し支えないような事例の中に、今にして思えば何故このようなイレギュラーな読みをしたのかと自分でも不思議に思うものが少なくないようだ。
多くの人は筮や賽を用いた問いかけに対して何故答えが示されるのか不思議に思うあまりに占考というものを甚だ人為の所産と捉えがちであるけれど、考えてみればあのような象徴的なものから正しい答えを引き出すというのも充分に不可思議な面があるように思う(勿論、占者が豊富な観卦法を会得しているというのが前提の話で、インスピレーションを与えようにも選択可能な読卦の手法に乏しければ、意味のある働きかけが困難になる訳だが)。
私は未だに易神めいた存在を信じてはいないが、得卦と占考を完全に分断したものと考えるべきではないのではないかというのが少なくとも現時点での認識だったりする。
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