応卦・不応卦、その根底にあるもの
- 2021/09/18
- 16:23
『易学研究』昭和43年9月号に、同年8月常陸の五浦観光ホテルで行われた岳麓精舎の八月例会の記録が掲載されている。
このホテルは横山大観や下村観山らの別荘を基に建てられたというのだが、この両日本画家の画号が何れも風地観から採られているのが面白い。
メンバーは総勢24名、加藤大岳以下、紀藤元之介、田中洗顕、大熊茅楊、加藤普品、菅原壮、柳下尚範、小林喜久治といった錚々たる顔ぶれであるが、半世紀以上前の催しであり、参加者中いまでも御存命なのは池袋の父・武隈天命氏くらいであろうか。
議題は卦の応不応に関するもので、得卦論争の勃発から十数年を経てなお此の話題がくすぶり続けているのも面白いが、参加者の意見もそれぞれ面白い。
『断易入門』の菅原氏は不応卦肯定の立場で、どうしても読めないなら日を改めて再筮するのが良いとしている。
池袋の父は読みの深浅が大事なのだが、それとは別に不応卦というものがあると考えておられるようだ。
大熊茅楊氏は占者が素直であれば解し易い卦が与えられるのだとしている。
読めないのが勉強不足によるものなら努力のしようもあるが、素直でないのが原因となると一寸難しい。
「素直でないとダメだ」と言われて成程そうかと素直になろうと試みるような人は最初から素直な人に違いない。
不応卦否定論者も勿論この合宿に参加していて、この中村さんというのは聞いた事のない名前でよく知らないが、判り難い卦というのはあると感じている、という。
しかし、判り難い卦など存在しないという人は居ないと思うので、あまり意見らしい意見を言っているようには思われない。
上野の父は我が広瀬宏道先生が随一の名人と敬服しておられたが、これを読む限り不応卦の存在を認めていないようだ。
ただ、面白いのは此の議論に巻き込まれないのが大事だと甚だ現実的なところで、これは他の論者にはない視点のように思われる。
田中洗顕氏は、この問題について意見する人間が攻撃的であるのに当惑を表明している。
どうも技術論と違って、得卦論は甚だ神学論争めいた気配のある主題である為に、論者を普段以上に攻撃的にする傾向があるものらしい。
発端になった荒井省一朗氏の非卦誤卦の問題提起は至って落ち着いた筆致のものであったが、それに対する紀藤元之介氏の反駁は私には徒に感情的なものに映ったが、これもその現れであろうかと思う。
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