回想の白蛾生誕祭
- 2021/09/21
- 18:11
先日、『易学研究』に載った岳麓精舎の宿泊例会の記録を読みながら、以前金沢で行った白蛾生誕祭のことを思い返していた。
占い師の類とは関わりたくもないので、易友と呼べるのは現在奈良場老師おひとりが唯一の例外と言って良い存在だが、或いは易関連の合宿などあれが人生最初で最後かもしれない。
2015年の9月だから、もう六年も前のことだ。
一泊二日のやや忙しない日程の小旅行であったが、あれは実に楽しかった。
温泉も何年振りかで満喫出来たし、のどぐろ始め料理も美味なものばかりで北陸の海の幸を心ゆくまで堪能した前夜祭は人生にそう何度と訪れるとは限らない至福のひとときであったと言う他ない。
晩餐ののち、地酒を傾けながら時事問題について乾坤一擲を楽しんだが、ああいう集いを今後再び持つ事が出来るかどうか。
しかし、よくよく考えてみれば少しおかしな合宿だったという気もする。
生誕祭はちょうど其の300年に当たって居るところからの企画であったが、白蛾の生まれた日はおろか月さえ記録には残されていない為に、仕方なく命日を新暦換算して挙行したものの、生誕祭を命日にやるというのは余り聞かない話だろう。
また、奈良場老師は白蛾研究の第一人者で、此の春、母校である二松学舎より文学博士号を授与されているが、むしろ其の研究内容は白蛾の盗作騒動やらを暴き出しているから、白蛾にとっては有難からぬものだったに違いなく、白蛾を追慕するというより寧ろ冷ややかな眼で眺め見る三人が墓参するというのも被葬者にとって心穏やかではいられない催しだったかも等と今になって思う所がある。
しかし、可能ならまたああいう宿泊を何かの折に企画してみたいという希望は持っていて、青木良仁先生は準備会のみの参加しか叶わなかったので、もうすぐ定年を迎えられて暇を持たれるようになったら次回は是非参加して頂きたいものだ。
それにしても昭和43年当時は夏の盛りに決して若くもない人達が合宿など行っていた、そんな時代であったらしい。
異常気象が恒例化して夏の猛暑をさして異常とも感じなくなって久しく、もはや八月など誰も合宿など言い出さない季節となってしまった感がある。
占い師の類とは関わりたくもないので、易友と呼べるのは現在奈良場老師おひとりが唯一の例外と言って良い存在だが、或いは易関連の合宿などあれが人生最初で最後かもしれない。
2015年の9月だから、もう六年も前のことだ。
一泊二日のやや忙しない日程の小旅行であったが、あれは実に楽しかった。
温泉も何年振りかで満喫出来たし、のどぐろ始め料理も美味なものばかりで北陸の海の幸を心ゆくまで堪能した前夜祭は人生にそう何度と訪れるとは限らない至福のひとときであったと言う他ない。
晩餐ののち、地酒を傾けながら時事問題について乾坤一擲を楽しんだが、ああいう集いを今後再び持つ事が出来るかどうか。
しかし、よくよく考えてみれば少しおかしな合宿だったという気もする。
生誕祭はちょうど其の300年に当たって居るところからの企画であったが、白蛾の生まれた日はおろか月さえ記録には残されていない為に、仕方なく命日を新暦換算して挙行したものの、生誕祭を命日にやるというのは余り聞かない話だろう。
また、奈良場老師は白蛾研究の第一人者で、此の春、母校である二松学舎より文学博士号を授与されているが、むしろ其の研究内容は白蛾の盗作騒動やらを暴き出しているから、白蛾にとっては有難からぬものだったに違いなく、白蛾を追慕するというより寧ろ冷ややかな眼で眺め見る三人が墓参するというのも被葬者にとって心穏やかではいられない催しだったかも等と今になって思う所がある。
しかし、可能ならまたああいう宿泊を何かの折に企画してみたいという希望は持っていて、青木良仁先生は準備会のみの参加しか叶わなかったので、もうすぐ定年を迎えられて暇を持たれるようになったら次回は是非参加して頂きたいものだ。
それにしても昭和43年当時は夏の盛りに決して若くもない人達が合宿など行っていた、そんな時代であったらしい。
異常気象が恒例化して夏の猛暑をさして異常とも感じなくなって久しく、もはや八月など誰も合宿など言い出さない季節となってしまった感がある。
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