筮法さまざま
- 2021/10/08
- 19:28
ここ数年目につく限りの筮法に関する資料を渉猟して来て気づけば手元に集まった論文類も相当な数に上る。
もとより数理には滅法弱くて学生時代の数学の成績も悲惨とまでは行かぬものの、他教科に比べると明らかに不得手を感じさせる点数ばかり取っていて、それでも小学算数の頃までならそれなりによく出来た記憶があるけれど、少し複雑になって来ると私の粗雑な作りの頭ではキャパオーバーになってしまったらしい。
そんな風であるから、筮法解説に複雑な数式など持ち出されるともうお手上げなのではあるが、それでも相当な数、少なくとも日本で出た殆ど全ての筮法絡みの論文に目を通して来た御蔭で、世の易占家諸氏の大半よりは此の分野の全体像が幾らか見えているのではないかという気はする。
しからばお前には何が見えているのかと問われれば、結局は月並みな答えばかり並べるしかないのだが、其の第一は完璧な筮法というのは存在しないということだろうか。
辞占をするには三変筮が最も都合が良いけれど、展開の自由度はどうしても犠牲に成らざるを得ないし、それをどうにかする為に白蛾の天眼通だの響通伝だのといった奇策が考案されているものの、結局はそのような小細工を必要とするところに不自由性というか限界があると言う他ない。
中筮によって得られる情報は当然三変筮におけるそれと比べると格段に多量であるけれど、却ってそれが迷いを生ずる要素にもなるし、この爻卦筮法を主とする真勢流が一切辞占を用いないのはやはり不自然の極みという印象を私は持つ。
四遍筮はこれ以上ないという位に自由度が高いものの、本之卦の連続性がないことに抵抗を感じるのは私だけではない筈だが、根本通明の三十六変筮法も同様に之卦は別に出して先に出した本卦と対照するというやり方らしく、その点では四遍筮と同じである。
大衍筮法はそれぞれの所作に暦法と絡めた一つ一つの意味付けがなされているのが特徴というか唯一の取り柄で、記録されている最も古い筮法であるという点に縋って権威を保っているだけのものだろう。
しかも此の大衍筮法、大衍之数章の記述が簡潔に過ぎて今度は語句の解釈に高い自由度があることから、朱子式から根本式までかなり多用な筮法が復古復元の名のもとに考案されているのは読者諸賢の普く知るところ。
朱子式にも亜流というか似てはいるものの異なる大衍筮法が複数あるようで、宋人郭雍は朱子の説を批判して『蓍卦辨疑』を著わし、朱子も負けじとこれに反論して『蓍卦考誤』を著わしているが、郭雍式の大衍筮法では四象の表出率が朱子式とは大きく異なっているらしい。
南宋の秦九韶が『数書九章』(1247)巻一大衍類の蓍卦発微において説く筮法は大衍之数章の一字一句と対応させてあり、筮法でありかつ算術理論でもある1つの「術」として構築されていて、朱子式より余程完成度の高い大衍筮法であるが、私は長らく秦九韶が考案した新奇な筮法といった程度の漠然とした認識しか持っていなかった。
此の蒙を啓いてくれたのは2018年に刊行された川原秀城氏の『数と易の中国思想史』である。
もとより数理には滅法弱くて学生時代の数学の成績も悲惨とまでは行かぬものの、他教科に比べると明らかに不得手を感じさせる点数ばかり取っていて、それでも小学算数の頃までならそれなりによく出来た記憶があるけれど、少し複雑になって来ると私の粗雑な作りの頭ではキャパオーバーになってしまったらしい。
そんな風であるから、筮法解説に複雑な数式など持ち出されるともうお手上げなのではあるが、それでも相当な数、少なくとも日本で出た殆ど全ての筮法絡みの論文に目を通して来た御蔭で、世の易占家諸氏の大半よりは此の分野の全体像が幾らか見えているのではないかという気はする。
しからばお前には何が見えているのかと問われれば、結局は月並みな答えばかり並べるしかないのだが、其の第一は完璧な筮法というのは存在しないということだろうか。
辞占をするには三変筮が最も都合が良いけれど、展開の自由度はどうしても犠牲に成らざるを得ないし、それをどうにかする為に白蛾の天眼通だの響通伝だのといった奇策が考案されているものの、結局はそのような小細工を必要とするところに不自由性というか限界があると言う他ない。
中筮によって得られる情報は当然三変筮におけるそれと比べると格段に多量であるけれど、却ってそれが迷いを生ずる要素にもなるし、この爻卦筮法を主とする真勢流が一切辞占を用いないのはやはり不自然の極みという印象を私は持つ。
四遍筮はこれ以上ないという位に自由度が高いものの、本之卦の連続性がないことに抵抗を感じるのは私だけではない筈だが、根本通明の三十六変筮法も同様に之卦は別に出して先に出した本卦と対照するというやり方らしく、その点では四遍筮と同じである。
大衍筮法はそれぞれの所作に暦法と絡めた一つ一つの意味付けがなされているのが特徴というか唯一の取り柄で、記録されている最も古い筮法であるという点に縋って権威を保っているだけのものだろう。
しかも此の大衍筮法、大衍之数章の記述が簡潔に過ぎて今度は語句の解釈に高い自由度があることから、朱子式から根本式までかなり多用な筮法が復古復元の名のもとに考案されているのは読者諸賢の普く知るところ。
朱子式にも亜流というか似てはいるものの異なる大衍筮法が複数あるようで、宋人郭雍は朱子の説を批判して『蓍卦辨疑』を著わし、朱子も負けじとこれに反論して『蓍卦考誤』を著わしているが、郭雍式の大衍筮法では四象の表出率が朱子式とは大きく異なっているらしい。
南宋の秦九韶が『数書九章』(1247)巻一大衍類の蓍卦発微において説く筮法は大衍之数章の一字一句と対応させてあり、筮法でありかつ算術理論でもある1つの「術」として構築されていて、朱子式より余程完成度の高い大衍筮法であるが、私は長らく秦九韶が考案した新奇な筮法といった程度の漠然とした認識しか持っていなかった。
此の蒙を啓いてくれたのは2018年に刊行された川原秀城氏の『数と易の中国思想史』である。
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