莧陸怪怪
- 2021/12/01
- 18:11
『易経』には植物を指すと思われる言葉が複数見えているが、経学者の幾ら偉い先生でも本草学に通暁しているという訳ではないから、多少なりとも生薬の知識を持ち合わせている者からすると其の言説に少々物言いをつけてやりたいと思うことが無いでもない。
例えば、震為雷の卦辞に見える「鬯」は一般に鬱鬯酒を指すとされていて、これは黒黍を醸造した酒に鬱金香を混ぜた香酒で、古代中国の祭祀では地に注いで神を降ろすのに用いられたものであるというが、本田済氏は此の「鬱金香」を安易に「チューリップ」だとしている。
しかし、これは現在の漢名に引き摺られたもので、ウコンあるいはサフランの古称と見るのが恐らくは正しい。
また、沢天夬九五の辞に「莧陸」というものが見えているが、大きく分けて莧陸の基原に二説あり、「商陸」(ヤマゴボウ)とするのが馬融・鄭玄・王粛で、「馬歯莧」(スベリヒユ)とするのは程伝・本義である。
つまり「莧陸」の「莧」を主に見れば「馬歯莧」となり、「陸」を主に見るなら「商陸」になるということだろう。
よくある注解のように「陰気に感じやすい植物」として挙げられたものであるなら、私は商陸説に票を投じたい。
実際現物を見てみると、日本の固有種であるマルミノヤマゴボウなど薄暗い谷沿いの林道を好んで生え、いかにもそれらしく思われる(ズラリと道沿いに並んだサマは結構不気味)。
ただ、よく見かける北米原産のヨウシュヤマゴボウは日当たりの良い場所でも見境なく生えていて、中国のヤマゴボウ科ヤマゴボウが実際どのような環境に自生するのかは見たことが無いので、そこは今の時点では私には何とも判断がつきかねる。
桑島目録は堺市の仁徳天皇陵で確認されたことを載せ、墓場に生えるという辺り、マジモンのヤマゴボウもやはり陰気を好むのかという気もするが、果たしてどうだろう。
馬歯莧説を採るのは程朱あたりからのようだから、説としては新しいものに属する。
ただ、今井宇三郎氏も本田済氏も馬歯莧の基原を「ヌメリヒユ」と言っているのが気にかかる。
「ヌメリヒユ」でも間違いではないのだが、寺島良安『和漢三才図絵』や松岡玄達『用薬須知』のような古い本から昨今の植物図鑑に到るまで「スベリヒユ」が基本であるから、方言の「ヌメリヒユ」はあまり適切には思われない。
商陸と違って馬歯莧はそれこそ10分も散歩すれば身近な場所で簡単に見付けることが出来る植物だが、果たして陰気に感じやすい植物に見えるかと言えばそうでもない気がする(肉厚なため身近な雑草の中で一番美味しいのは馬歯莧だそうだが、犬猫の小便でもかかっていそうで食べようなどという気には到底なれない)。
ただ、海を知らない内陸の人々、殊に乾燥地帯の遊牧民を『易経』の作者と見做す説に立てば、そんな乾燥地帯にヤマゴボウなどあるだろうかという気がして、スベリヒユの方がそれらしい気もして来るから結局は決定打に欠けるようだ。
勿論、莧陸の正体が必ずヤマゴボウかスベリヒユかの二択に絞れるのかという問題も残されていて、荀爽は「莧」と「陸」とはそれぞれ別の植物だとし、来知徳は「莧」は莧菜(ハゲイトウ)で、「陸」を地とする。
項安世は「莧」は山羊で、「陸」は其の行くところの路だとしており、この説だと抑々植物ですらない事になってしまう(聞一多や李鏡池、高亨といった訓詁派や考古派に属する近現代の諸家は多く此の山羊説を採る)。
こうして見て行くと、たった二字とはいえ、本草学の知識を駆使しなければ解決どころか取り組むことさえ出来ないし、本職の経学者と雖も、その方面の知識は素人同然であるのが普通であることを思えば、古典を読むということが如何に困難であるのかが知れるというものだろう。
ところで、孔子は『論語』陽貨第十七の九で、『詩経』を学ぶ効用の一つとして「鳥獣草木の名を沢山覚えられる」という風な事を言っている。
心すべき事かもしれない。
例えば、震為雷の卦辞に見える「鬯」は一般に鬱鬯酒を指すとされていて、これは黒黍を醸造した酒に鬱金香を混ぜた香酒で、古代中国の祭祀では地に注いで神を降ろすのに用いられたものであるというが、本田済氏は此の「鬱金香」を安易に「チューリップ」だとしている。
しかし、これは現在の漢名に引き摺られたもので、ウコンあるいはサフランの古称と見るのが恐らくは正しい。
また、沢天夬九五の辞に「莧陸」というものが見えているが、大きく分けて莧陸の基原に二説あり、「商陸」(ヤマゴボウ)とするのが馬融・鄭玄・王粛で、「馬歯莧」(スベリヒユ)とするのは程伝・本義である。
つまり「莧陸」の「莧」を主に見れば「馬歯莧」となり、「陸」を主に見るなら「商陸」になるということだろう。
よくある注解のように「陰気に感じやすい植物」として挙げられたものであるなら、私は商陸説に票を投じたい。
実際現物を見てみると、日本の固有種であるマルミノヤマゴボウなど薄暗い谷沿いの林道を好んで生え、いかにもそれらしく思われる(ズラリと道沿いに並んだサマは結構不気味)。
ただ、よく見かける北米原産のヨウシュヤマゴボウは日当たりの良い場所でも見境なく生えていて、中国のヤマゴボウ科ヤマゴボウが実際どのような環境に自生するのかは見たことが無いので、そこは今の時点では私には何とも判断がつきかねる。
桑島目録は堺市の仁徳天皇陵で確認されたことを載せ、墓場に生えるという辺り、マジモンのヤマゴボウもやはり陰気を好むのかという気もするが、果たしてどうだろう。
馬歯莧説を採るのは程朱あたりからのようだから、説としては新しいものに属する。
ただ、今井宇三郎氏も本田済氏も馬歯莧の基原を「ヌメリヒユ」と言っているのが気にかかる。
「ヌメリヒユ」でも間違いではないのだが、寺島良安『和漢三才図絵』や松岡玄達『用薬須知』のような古い本から昨今の植物図鑑に到るまで「スベリヒユ」が基本であるから、方言の「ヌメリヒユ」はあまり適切には思われない。
商陸と違って馬歯莧はそれこそ10分も散歩すれば身近な場所で簡単に見付けることが出来る植物だが、果たして陰気に感じやすい植物に見えるかと言えばそうでもない気がする(肉厚なため身近な雑草の中で一番美味しいのは馬歯莧だそうだが、犬猫の小便でもかかっていそうで食べようなどという気には到底なれない)。
ただ、海を知らない内陸の人々、殊に乾燥地帯の遊牧民を『易経』の作者と見做す説に立てば、そんな乾燥地帯にヤマゴボウなどあるだろうかという気がして、スベリヒユの方がそれらしい気もして来るから結局は決定打に欠けるようだ。
勿論、莧陸の正体が必ずヤマゴボウかスベリヒユかの二択に絞れるのかという問題も残されていて、荀爽は「莧」と「陸」とはそれぞれ別の植物だとし、来知徳は「莧」は莧菜(ハゲイトウ)で、「陸」を地とする。
項安世は「莧」は山羊で、「陸」は其の行くところの路だとしており、この説だと抑々植物ですらない事になってしまう(聞一多や李鏡池、高亨といった訓詁派や考古派に属する近現代の諸家は多く此の山羊説を採る)。
こうして見て行くと、たった二字とはいえ、本草学の知識を駆使しなければ解決どころか取り組むことさえ出来ないし、本職の経学者と雖も、その方面の知識は素人同然であるのが普通であることを思えば、古典を読むということが如何に困難であるのかが知れるというものだろう。
ところで、孔子は『論語』陽貨第十七の九で、『詩経』を学ぶ効用の一つとして「鳥獣草木の名を沢山覚えられる」という風な事を言っている。
心すべき事かもしれない。
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