『実占研究』創刊の地
- 2021/12/19
- 10:03
紀藤元之介先生は神奈川県綾瀬の御生まれであったが、復員後関西に移住され、奈良の春日大社に奉職の後は大阪に移って活動された。
大阪では今東光氏が八尾の天台院に着任したことから、昭和27年1月に同院で「天台易学塾」を開講、これが大阪での最初の講座であるが、同年11月に大阪を本格的な活動拠点とする為に転居され、同月には『実占研究』の創刊号が発刊されている。
大阪での最初の居宅は『実占研究』最終号巻末の年譜によると「大阪東成区大今里北ノ町」となっているが、区画整理により北ノ町は消滅している為、木藤謙氏に尋ねたところ、現在の今里西之口公園西側の辺りという。
空襲で焼け残った大阪独特の長屋でトイレも台所もない一間の間借りだったそうだが、今は当時の面影を残すものは何も残されていないようだ。
旧宅前で撮影された写真を木藤謙氏より頂戴したので掲載させて頂くことにする(昭和28年3月15日撮影)。
当時の宅占の看板が写っているという点で中々貴重な昭和易学史上の史料と言える。
これは昭和28年6月に撮影された更に貴重なショットで、後に“黄小娥”の名で『易入門』を刊行し時の人となる前の川津久佳女史が令嬢を伴って今里を訪れた時のものだそうだ(写真右端が黄小娥、左端が令嬢)。
川津女史は『実占研究』創刊以来の読者で、以後個人教授を受ける為、熊本から時々訪ねて来られたという。
大阪では今東光氏が八尾の天台院に着任したことから、昭和27年1月に同院で「天台易学塾」を開講、これが大阪での最初の講座であるが、同年11月に大阪を本格的な活動拠点とする為に転居され、同月には『実占研究』の創刊号が発刊されている。
大阪での最初の居宅は『実占研究』最終号巻末の年譜によると「大阪東成区大今里北ノ町」となっているが、区画整理により北ノ町は消滅している為、木藤謙氏に尋ねたところ、現在の今里西之口公園西側の辺りという。
『実占研究』創刊之地
空襲で焼け残った大阪独特の長屋でトイレも台所もない一間の間借りだったそうだが、今は当時の面影を残すものは何も残されていないようだ。
旧宅前で撮影された写真を木藤謙氏より頂戴したので掲載させて頂くことにする(昭和28年3月15日撮影)。
当時の宅占の看板が写っているという点で中々貴重な昭和易学史上の史料と言える。
これは昭和28年6月に撮影された更に貴重なショットで、後に“黄小娥”の名で『易入門』を刊行し時の人となる前の川津久佳女史が令嬢を伴って今里を訪れた時のものだそうだ(写真右端が黄小娥、左端が令嬢)。
川津女史は『実占研究』創刊以来の読者で、以後個人教授を受ける為、熊本から時々訪ねて来られたという。
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