八木喜三朗先生
- 2014/03/19
- 17:13
八木喜三朗先生(1901~1976)は、大阪で八木観相塾を主宰された人相学の大家であり、蒼流庵主人が親しくして頂いている麻野勝稔先生は八木観相塾の直門で、カラーブックスの本に記載されている子供の写真は全て麻野先生の提供に依るものだ。
八木先生は二代目玄龍子の直門中、筆頭格の高弟であり、古い『実占研究』では、二人の対談が連載されていて、蜜月の関係を思わせるが、二代目の晩年に破門されている。
破門の理由はさだかではないが、三代目玄龍子・目黒一三先生は『実占研究』17巻11月号に寄稿された「人相学は現実の宗教という意味に就て」の中で、八木先生が玄龍子を名乗っていることと、大阪易道組合の発行物『易道』に寄せた文章の八割が『玄龍子相法』の写しであるとして非難されている。
1958年に日本運命学会から刊行された『色情人相学』目黒八朗著には、玄龍子著を名乗る偽物の本が出回って居ることを匂わせており、その対策として自身の著述目録を載せて、10冊の署名を挙げ、その中の五番目に『刀巴心青』もあるのだが、私が譲り受けた竹田泰彦先生の遺品の中に、この『刀巴心青』があり、八木喜三朗著として出ている同題の著作と内容が同一らしいという話を聞いた。
旧竹田蔵書中の『刀巴心青』
私は八木先生のものを読んでいないので、現時点では未確認であるが、近々東洋書院から八木先生の『刀巴心青』が復刊されるという話なので、復刊の暁には是非両書を突き合わせてみたいと思っている。
高麗橋の八木昆布店・この2階が教室になっていた
なお、蒼流庵主人は、八木先生の御子息で八木昆布店の当主・八木治助翁(1923~2018)に御目にかかったことがあり、当時の看板のようなものが残っていないか尋ねたことがあるが、八木観相塾は先生の死去と共に消滅しており、当時のものは残っていないということであった。
余談ながら、蒼流庵主人の親戚も大阪で代々昆布店を営んでいるのだが、治助翁からよく知った間柄であると聞かされたことは驚きであった。
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