謹賀新年
- 2022/01/01
- 14:25
蒼流庵随想を御覧の皆様、新年明けましておめでとう御座います。
昨年は年初の山雷頤初九から然して面白からぬ一年になるものと覚悟していましたが、思いもよらぬ凶運に見舞われて、或いは生涯を振り返っても過去最悪の年であったかも知れず、山雷頤の印象が自身の中で急降下した年であったように思います。
それも馬鹿者によって外部より齎されたものなので、自衛の方策すら無く、甚だ受動的なものであったのは遺憾の極みと言う他ありません。
と言っても、健康面では3年半ぶりに肝機能の数値が正常化、加えてさる自民系シンクタンクに学術顧問として迎えられるという思わぬ吉事もあり、捨てる神あれば拾う神ありと言ったところでしょうか。
心機一転、今朝がた大衍筮法にて年筮を執ってみましたところ、沢天夬之地山謙を得ました。
眺め見る限り、山雷頤どころではない不穏な卦兆にただ慄くばかりですが、佐久間象山よろしく首をちょん切られて墳墓の地山謙まっしぐらという事になるのでしょうか?
本之卦の順序が逆ならまだ少しは慰めにもなりそうなものですが、謙之夬ではなく夬之謙であるのは幾ら算木と睨めっこしてみたところで変わることの無い事実ですから、ここは腹をくくるしかなさそうです。
気を取り直して三変筮で指針を取って見ることにします。
大衍筮法での得卦と照らし合わせて節度節制を説く水沢節が得られたのは、如何にもという気がしますが、初爻ではなく二爻というのがこれまでの年筮と少し毛色が違っています。
初爻なら恐れ慄いて大人しくしているところですが、二爻の辞は寧ろ内に引っ込んでいる事で凶を招くと教えていて、節度を保ちつつも外へ出て行かねばならぬ気運に際会しているようです。
難しい舵取りを強いられる年になりそうですが、そもそも今年は空亡につき、さもありなんといったところでしょうか。
何れにしましても、皆さまに置かれましては幸多き一年でありますよう、お祈り申し上げます。
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