天子、剣をとる
- 2022/01/04
- 10:43
仕事が一段落すると、これまで積読になっていた本を漁って目についたものを適当に数冊選んで読み、頭の体操をするのだが、昨年は割に当たりの多い年だった気がする。
昨年といっても積読の中から読むわけだから、読んだのが昨年というだけで実際の刊行年は古いものばかり、例えば其の中から幾つかを挙げれば、舟橋聖一『悉皆屋康吉』、水上勉『越前竹人形』、源氏鶏太『重役の椅子』、高杉一郎『極光のかげに』、城山三郎『鼠』といった、既に殆ど古典と化しているような本が大半と言って良い。
ノンフィクションものでは傑作の呼び声高い沢木耕太郎『テロルの決算』が取り分け面白かった。
昭和35年10月12日、十七歳の右翼少年・山口二矢が日比谷公会堂で演説中の社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した後、少年鑑別所で自殺した事件を扱ったもので、我が国ノンフィクションの金字塔の名に恥じない迫力を持っている。
が、右翼少年の生い立ちについて読んでいてさえ、『易』に引き戻されるのは矢張易病に於ける症状の一つであるようだ。
二矢(「おとや」と読む)の父は、田口二州より占術の手ほどきを受けたことがあるらしく、国税庁から転職する際、自分で卦を立ててみたとあり、得卦は記されていないが、“卦には、「天子、剣をとる」と出ていた”という。
はて、そんな爻辞があったかいなと思った人もあるかもしれないが、蒼流庵随想の読者なら「ハハン、白蛾の象意考だな」と気が付かれたに違いない。
新井白蛾『易学小筌』山雷頤の象意考に「壮士、剣を執るの象」とあり、「壮士」が「天子」になっているのは易の知識を持ち合わせない沢木のケアレスミスか、若しくは依拠した資料の間違いだろうが、正しく「壮士」としていたなら、もっとここから違う展開も出来ただろう。
しかし、自衛隊に入るという決断をうながすことになった易を立ててから八年ほど過ぎた昭和三十五年、その時に出た卦はもしかしたら自衛隊に入れというのではない、もっと別のことを意味していたのではないかと思い至ることになる。
卦には、
「天子、剣をとる」と出ていた。
それが天の子か地の子かは別としても、晋平(※二矢の父)が自衛隊に入ることで、間違いなくひとりの子が剣をとることになってしまったからである。
「ひとりの子が剣をとった」のは間違いないが、山雷頤は内震外艮であり、震の長男と艮の少男の二人の男子が居る象でもあって、実は学齢が一つ違いの兄・朔生は家族に内緒で右翼の街頭活動に参加しており、兄の逮捕が弟を覚醒(?)させる直接の引き金になっていたのである。
刺殺事件に比べれば、街頭活動での逮捕など物の数ではないが、父親の自衛隊入りは二人の人間の人生を狂わせたことは確からしい。
ところで、この「天子、剣をとる」は其のまま第二章の章題となっている。
昨年といっても積読の中から読むわけだから、読んだのが昨年というだけで実際の刊行年は古いものばかり、例えば其の中から幾つかを挙げれば、舟橋聖一『悉皆屋康吉』、水上勉『越前竹人形』、源氏鶏太『重役の椅子』、高杉一郎『極光のかげに』、城山三郎『鼠』といった、既に殆ど古典と化しているような本が大半と言って良い。
ノンフィクションものでは傑作の呼び声高い沢木耕太郎『テロルの決算』が取り分け面白かった。
昭和35年10月12日、十七歳の右翼少年・山口二矢が日比谷公会堂で演説中の社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した後、少年鑑別所で自殺した事件を扱ったもので、我が国ノンフィクションの金字塔の名に恥じない迫力を持っている。
が、右翼少年の生い立ちについて読んでいてさえ、『易』に引き戻されるのは矢張易病に於ける症状の一つであるようだ。
二矢(「おとや」と読む)の父は、田口二州より占術の手ほどきを受けたことがあるらしく、国税庁から転職する際、自分で卦を立ててみたとあり、得卦は記されていないが、“卦には、「天子、剣をとる」と出ていた”という。
はて、そんな爻辞があったかいなと思った人もあるかもしれないが、蒼流庵随想の読者なら「ハハン、白蛾の象意考だな」と気が付かれたに違いない。
新井白蛾『易学小筌』山雷頤の象意考に「壮士、剣を執るの象」とあり、「壮士」が「天子」になっているのは易の知識を持ち合わせない沢木のケアレスミスか、若しくは依拠した資料の間違いだろうが、正しく「壮士」としていたなら、もっとここから違う展開も出来ただろう。
しかし、自衛隊に入るという決断をうながすことになった易を立ててから八年ほど過ぎた昭和三十五年、その時に出た卦はもしかしたら自衛隊に入れというのではない、もっと別のことを意味していたのではないかと思い至ることになる。
卦には、
「天子、剣をとる」と出ていた。
それが天の子か地の子かは別としても、晋平(※二矢の父)が自衛隊に入ることで、間違いなくひとりの子が剣をとることになってしまったからである。
(46頁)
「ひとりの子が剣をとった」のは間違いないが、山雷頤は内震外艮であり、震の長男と艮の少男の二人の男子が居る象でもあって、実は学齢が一つ違いの兄・朔生は家族に内緒で右翼の街頭活動に参加しており、兄の逮捕が弟を覚醒(?)させる直接の引き金になっていたのである。
刺殺事件に比べれば、街頭活動での逮捕など物の数ではないが、父親の自衛隊入りは二人の人間の人生を狂わせたことは確からしい。
ところで、この「天子、剣をとる」は其のまま第二章の章題となっている。
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