250枚の法則
- 2022/01/07
- 18:50
その分野のエキスパートになる為には、1万時間を費やすことが必要という「1万時間の法則」なるものがあるそうだ。
これが妥当な数字なのかどうかはよく分からぬが、私も自分で発見した「250枚の法則」というものを持って居る。
自分は或る分野を学習する時、wordでA4のまとめノートめいたものを拵えるのを習慣としているのだが、それが250枚を超えた辺りから、その分野に対する自信が生まれて来るという経験を何度も繰り返していて、物事をマスターするのには矢張り或る程度の決まった時間的法則があるのではないかという実感があるのだ。
もっとも250というのは飽くまでも自分の乏しい経験から帰納されたものに過ぎず、現段階では単なる個人的経験則の域を出るものではない。
また、その分野に対する自信が生まれたという段階の人はとてもエキスパートとは言えないし、1万時間費やすと何頁のword文書を作成することになるのかもどう計算したものか数字に弱い私には見当が尽きかねるが、先ずはここで言う“自信”というものを具体的に説明する必要があると思う。
周囲が全く理解に苦しむような“根拠なき自信”に溢れた人を屡々私たちは目にするからだ。
ここで言う自信というのは、当該分野の書物、それも一般啓蒙書ではない、専門家向けの専門書を読んだ際に、辞書やネット検索などに頼らずとも殆どの字句の読み方と意味が解って内容に付いて行くことが出来るという意味である。
そして、これが400枚を超えると、専門書にある間違いにさえ気が付く読み方が幾らか出来るようになって来るのだが、或いはこの辺りが1万時間と合致してくるのかもしれない。
ちなみに、目下蒼流庵随想の主題に関わるものだと、易学全般に渡るものが540、易の経文関連が392、支那学全般に渡るもの369、漢方関連150、相学122といった按配である。
漢方関連は此の中で一番早くに手を付けている為、紙のノート時代が長かったから、word文書に換算するともう少し分量があると思うが、相学は僅かに122枚に過ぎないから、まだ全体像がはっきり見えず、靄の中に居るような状態という他ない。
一番多い500枚超えの易学は此の中で最も自信を持って発言出来る分野ではあるが、だからと言って全てを極めた等と自惚れている訳では決してない。
それは現時点での疑問点の解消度の反映という意味での自信であるに過ぎないからだ。
ここ何年か神戸のサンテレビで延々藤田まこと版の『剣客商売』を再放送していて飽きもせずに毎度視聴しているのだが、第2シリーズ第8話の「悪い虫」で、渡部篤郎扮する秋山大治郎が剣術の稽古をつけてもらいにきた町人に、父の受け売りと称して次のように語るシーンがある。
剣術の修行はまず十年。十年はやらぬと、おれが強いという心にはなれぬ。
更に十年続けると、今度は相手の強さがわかってくる。
もう十年やると、己れがいかに弱いか、そのことがわかってくるものだ。
四十年も続けていると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる。
そういうものかもしれない。
これが妥当な数字なのかどうかはよく分からぬが、私も自分で発見した「250枚の法則」というものを持って居る。
自分は或る分野を学習する時、wordでA4のまとめノートめいたものを拵えるのを習慣としているのだが、それが250枚を超えた辺りから、その分野に対する自信が生まれて来るという経験を何度も繰り返していて、物事をマスターするのには矢張り或る程度の決まった時間的法則があるのではないかという実感があるのだ。
もっとも250というのは飽くまでも自分の乏しい経験から帰納されたものに過ぎず、現段階では単なる個人的経験則の域を出るものではない。
また、その分野に対する自信が生まれたという段階の人はとてもエキスパートとは言えないし、1万時間費やすと何頁のword文書を作成することになるのかもどう計算したものか数字に弱い私には見当が尽きかねるが、先ずはここで言う“自信”というものを具体的に説明する必要があると思う。
周囲が全く理解に苦しむような“根拠なき自信”に溢れた人を屡々私たちは目にするからだ。
ここで言う自信というのは、当該分野の書物、それも一般啓蒙書ではない、専門家向けの専門書を読んだ際に、辞書やネット検索などに頼らずとも殆どの字句の読み方と意味が解って内容に付いて行くことが出来るという意味である。
そして、これが400枚を超えると、専門書にある間違いにさえ気が付く読み方が幾らか出来るようになって来るのだが、或いはこの辺りが1万時間と合致してくるのかもしれない。
ちなみに、目下蒼流庵随想の主題に関わるものだと、易学全般に渡るものが540、易の経文関連が392、支那学全般に渡るもの369、漢方関連150、相学122といった按配である。
漢方関連は此の中で一番早くに手を付けている為、紙のノート時代が長かったから、word文書に換算するともう少し分量があると思うが、相学は僅かに122枚に過ぎないから、まだ全体像がはっきり見えず、靄の中に居るような状態という他ない。
一番多い500枚超えの易学は此の中で最も自信を持って発言出来る分野ではあるが、だからと言って全てを極めた等と自惚れている訳では決してない。
それは現時点での疑問点の解消度の反映という意味での自信であるに過ぎないからだ。
ここ何年か神戸のサンテレビで延々藤田まこと版の『剣客商売』を再放送していて飽きもせずに毎度視聴しているのだが、第2シリーズ第8話の「悪い虫」で、渡部篤郎扮する秋山大治郎が剣術の稽古をつけてもらいにきた町人に、父の受け売りと称して次のように語るシーンがある。
剣術の修行はまず十年。十年はやらぬと、おれが強いという心にはなれぬ。
更に十年続けると、今度は相手の強さがわかってくる。
もう十年やると、己れがいかに弱いか、そのことがわかってくるものだ。
四十年も続けていると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる。
そういうものかもしれない。
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