算置考
- 2022/01/10
- 11:13
最近、『新陰陽道叢書』第二巻に収載されたマティアス・ハイエク氏の「算置考」を拝読した。
「算置」とは、中世から近世初期にかけて活躍した民間職能者の一種で、算木を用いた占いをする。
先行研究の乏しい現状にあってハイエク氏の論考は極めて貴重で且つ啓発的。
易占に於ける算木は江戸中期に用いられ始めたと考えている庵主には特に其の観点から是れを興味深く読んだ。
ハイエク氏によると、算置の描写が見られる資料は大きく分けて二種類あり、一つは、室町時代から近世初期(17世紀)に製造された絵巻物や風俗屏風などの画像資料、もう一つはそれらしき者が登場する物語や狂言のテキストといった文字資料であるが、そこで用いられる算木は易占とは関連していないようで、易占に於ける算木が筮竹によって表出された卦爻を記録する脇役的占具であるのに対し、算置の算木は占具の主そのものであるらしい。
著者は、算置は鎌倉時代の段階で確認出来る「算道」なるものから発展した民間職能者で、その職能内容は算数ではなく、五行説に基づいた占いであると言い、私たちが今日用いる算木とはニュアンスがかなり異なっている。
ただし時代が下ると八卦と絡めた絵図なども出て来るのだが、あくまでも算置の占法は易占とは異なる雑占の一種と見做すべきものであろう。
ただ、こうして見て行くと、易占に於ける算木は純粋な算術用計数具としての算木の転用ではなくて、民間占術の算置が用いたものを摂取した可能性の方が高そうに思われて来る。
算木を用いたことが確認出来る平澤随貞や新井白蛾の立場は、儒者のそれよりも寧ろ民間の売卜者であるからだ。
また、算置の算は文字通り「数を数える」ことであり、筮竹蓍策の所作も当然「計数」とイコールであるから、互いにもとより親和性を持って居るのであって、両者が結合するのは当然の成行であったのかもしれない。
なにより、旧来の周易占(朱子の筮儀しかり)の記卦は漆板に墨書という厄介な方法に依っていた訳で、街頭で多数の依頼に応える売卜には扱い難い方式であったから、手近なものとしては卦銭があるとはいえ、やはり六爻を表現するにはビジュアル的にも算木を用いた方がより適しているという辺りから摂取されたものではなかろうか。
いずれにせよ新年早々啓発的な論考に触れられた幸運が嬉しい。
「算置」とは、中世から近世初期にかけて活躍した民間職能者の一種で、算木を用いた占いをする。
先行研究の乏しい現状にあってハイエク氏の論考は極めて貴重で且つ啓発的。
易占に於ける算木は江戸中期に用いられ始めたと考えている庵主には特に其の観点から是れを興味深く読んだ。
ハイエク氏によると、算置の描写が見られる資料は大きく分けて二種類あり、一つは、室町時代から近世初期(17世紀)に製造された絵巻物や風俗屏風などの画像資料、もう一つはそれらしき者が登場する物語や狂言のテキストといった文字資料であるが、そこで用いられる算木は易占とは関連していないようで、易占に於ける算木が筮竹によって表出された卦爻を記録する脇役的占具であるのに対し、算置の算木は占具の主そのものであるらしい。
著者は、算置は鎌倉時代の段階で確認出来る「算道」なるものから発展した民間職能者で、その職能内容は算数ではなく、五行説に基づいた占いであると言い、私たちが今日用いる算木とはニュアンスがかなり異なっている。
ただし時代が下ると八卦と絡めた絵図なども出て来るのだが、あくまでも算置の占法は易占とは異なる雑占の一種と見做すべきものであろう。
ただ、こうして見て行くと、易占に於ける算木は純粋な算術用計数具としての算木の転用ではなくて、民間占術の算置が用いたものを摂取した可能性の方が高そうに思われて来る。
算木を用いたことが確認出来る平澤随貞や新井白蛾の立場は、儒者のそれよりも寧ろ民間の売卜者であるからだ。
また、算置の算は文字通り「数を数える」ことであり、筮竹蓍策の所作も当然「計数」とイコールであるから、互いにもとより親和性を持って居るのであって、両者が結合するのは当然の成行であったのかもしれない。
なにより、旧来の周易占(朱子の筮儀しかり)の記卦は漆板に墨書という厄介な方法に依っていた訳で、街頭で多数の依頼に応える売卜には扱い難い方式であったから、手近なものとしては卦銭があるとはいえ、やはり六爻を表現するにはビジュアル的にも算木を用いた方がより適しているという辺りから摂取されたものではなかろうか。
いずれにせよ新年早々啓発的な論考に触れられた幸運が嬉しい。
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