国際基督教大学で教鞭を執られた中国哲学者の古藤友子先生が先週帰天された。
1951年のお生まれというから未だ主の御許に旅立たれるのには人生100年時代などという言葉が囁かれる様になった昨今、余りに早すぎるような感じがするものの、随分前からパーキンソン氏病を患われて、数年前にどこかの施設に入られてからは余り御噂を耳にする事もなくなっていた。
正直訃報に接してから先生が1951年の御生まれであったことを知り、驚いている。
最後にお会いしたのはもう4、5年前なので、そのとき先生は60歳代だったことになるが、失礼ながら後期高齢者だとばかり思っていた。
病魔は先生のお体に通常以上の老いを与えていたのかもしれない。
2015年に東京のNHKカルチャーにて奈良場先生が
江戸時代、易占術のいろいろと銘打った講座を半年間持たれたことがあるのだが、一期で退かれた後を引き継ぐ形で、易の講座を開講されたのが古藤先生であった。
確か何期か継続して開講されたという風に聞いた気がするが、いつの頃に引退されたのかは、よく判らない。
先生には何度かお会いしたことがあるが、研究会で時折ご一緒したという程度で、個人的な交流めいたものは無かったけれど、『五経大義』は中村璋八先生との共訳本で読ませてもらったし、今でも朱子の『本義』の内容を確認したい時は同じく中村先生と取り組まれた明徳出版社の中国古典新書本を利用させて頂いている。
そういえば京大の研究会で御一緒した時、たまたま庵主の右隣に陣取っておられたのだが、ヨロけられた拍子に庵主のお茶を引っ繰り返してしまわれて、左隣の人のカバンがビショったというアクシデントがあった。
ちょうど研究会の休憩時間でのことで、左隣の人は直ぐに戻って来られたのだが、慌てて「俺がやったんじゃないゾ」と弁解を並べ立てたのは、今にして思えば、病気の老人に罪を擦り付けているようにも見えて、いっそ自分がひっかぶるのが聖賢の道を志す者に相応しかったかとも後で思い返したけれど、残念ながらこういう咄嗟の時には矢張地が出るものらしい。
ちなみに、この時古藤先生はそんなアクシデントが起こったという事にすら気が付いておられなかったようだ。
個人的な接触(文字通りの接触であるが)と言えば、こんな他愛無い話くらいが記憶の彼方に旅立って行こうとしている程度なのであるが、今はただ見るからにセレブなオーラを放っておられた気品ある先生の御冥福をお祈りしたい。
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