大岳易における三変筮は卦爻を得る手順こそ白蛾が行った略筮法と同じであるけれど、得爻の陰陽をひっくり返して得られる大成卦を之卦ではなく伏卦と呼んで、得卦の中に含み蔵されている一つの動きとして補助的に解釈する点に特徴がある(之卦をこのように取り扱うことには特にアンチ大岳を標榜する立場からの強い批判があるのだが、その問題はここでは一先ず置いておくことにする)。
そして、『易学大講座』の一つの欠陥として、まだ三変筮の考え方が確立していない時代の著述である為に、占考に於いて之卦を重く見ている点が挙げられることがあるが、よく読んでみると『易学大講座』は大岳易に於ける三変筮もっと言えば伏卦概念の形成期ないし過渡期にある講座内容の記録であることが判然とする。
全てが之卦と見做されている訳ではなく、第七巻の革卦解説に於いて「伏卦」が既に登場しており、其の後も端々で此の概念が見え隠れしているのだ。
従って、大岳流三変筮の確立前夜の状況が『易学大講座』であると見るのが正確であろう。
ところで、この「伏卦」なる語は大岳氏の造語ではなく、古く京房易に由来する語とされている。
ただし、
易学大辞典も此の語を記載しはするが、現行本『京氏易伝』(京房易の系譜に連なる後学の手に成るもので、京房に仮託した偽書とされる)には「飛伏」の概念はあっても「伏卦」そのものズバリの語は見えて居ないようだ。
私の見るところ、大岳易に於ける伏卦の語は『京氏易伝』や其の流れを汲む断易書に由来するものではなく、松井羅州を経る形で間接的に持ち込まれたものではないかという気がする。
初期の御大が如何に真勢易に傾倒したかは、今更申し述べるまでもないし、羅州が断易概念の摂取にこれ努めたこともまた贅言を要すまい。
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