イソダマイル
- 2022/02/23
- 13:02
『易学大講座』は加藤大岳氏が自ら筆を執った著作ではなく、門人らの講義ノートを文字起こしして成ったもので、第一巻々頭を飾る序言の末尾に編集委員として六名が記載されているのだが、或いは此の配列は当時の岳麓精舎に於ける序列がそのまま反映されているものであろうか。
そうすると、後で門下に加わった江藤幸彦氏が先輩格の紀藤元之介氏より先に来ているのはおかしいことになるが、単純に『大講座』への貢献度の順としても、磯田兄弟(兄:英一、弟:英雄)が筆頭に来ていることは重く見て良いと思われる。
実際、門人のうち紀元書房からの単著上梓では磯田英一氏(1907~1981)の『論攷真勢中州の易哲学』が最も早く、昭和18年という古さを誇ってぶっちぎりだ。
同書序文によると磯田英一氏と加藤大岳氏との関わりは、『易学研究』の前身である『神秘』創刊号(昭和11年1月)に「易の運動性理論」を寄稿されて以来のこととあって、『論攷真勢中州の易哲学』は『易学研究』創刊号(昭和14年12月)から第四巻15号(昭和17年10月)まで連載された記事を纏めたものというから、その関りの古さから言っても氏を以て筆頭門下と言えるかどうかは兎も角最も重きを為した一人と考えて差し支えないと思う。
磯田兄弟は富士山麓の曹洞宗寺院の仏家で、新幹線もない時代に毎度上京して教えを乞うていたというのだから、恐れ入る他はない。
磯田英一墓
一昨年の秋、東北からの帰りに立ち寄って磯田兄弟の掃苔をさせて頂いたが、だいたい仏家には縁遠いので、坊さんの卵塔を掃苔したのは実に慈雲尊者以来のことではないかという気がする。
磯田英雄墓
磯田英雄氏のほうは単著は無いようで(ただし『仏跡の巡礼』『天童寺拝登記』の仏教書はある)、『易学研究』に寄稿された記事や座談の類が幾らかある程度らしいが、加藤大岳氏逝去の際は葬儀委員長を務められている。
湯島聖堂での協会葬
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