『易学大講座』奉献の旅
- 2022/02/26
- 10:47
古い『易学研究』に磯田英雄氏が「『易学大講座』奉献の旅」と題した記事を寄稿されているを見付けた。
時は昭和17年12月というから敗戦の2年以上前のことである。
「かねてから加藤先生はじめ我々一同の念願であった神宮へ奉献するための『易学大講座』特製本が出来上がったので、十二月十八日の夜、それを奉持して、加藤先生のお伴をして私は伊勢へ向つた」という書き出しで此の小篇は始まっている。
出版した本を神宮へ奉納するのが一同の念願という辺りは中々時代がかっていて思わず苦笑させられるが、実は書物に限らず、たとえば職人が丹精込めた工芸品を寺社に奉納するというのは一昔前なら珍しくも無かったことで、寧ろこういう習慣が失われたことが日本人の精神風土荒廃の一つの表れでもあるような気がして、残念な気がせぬでもない。
御饌受付に行き、加藤先生が大講座獻納のために參つた旨を傳へられた所、係の方が出て來られて喜んで受納されたばかりでなく、更にこの由を神前に奉告したいから暫らく待つやうにとの事に、其の鄭重さに大變恐縮しつゝも、待つ事暫し、拝殿に招じ入れられ、淸らかな巫女の奉仕に依つて易學大講座は神前に供へられ、神官は祝詞をあげて奉告して下さつたのであります。
一読、私には一昔前の神宮の空気の臭いまで感じられてくるような気さえする。
次は移動して橿原神宮でも同じく奉献、使命を果たし終えた一向は薄暮の中に神武天皇の御陵を参拝して、畝傍御陵前駅より大阪への電車に乗って帰途に就くのだが、僅か五頁に満たない小篇にも戦前の紀行の一端が垣間見られて、実に読後感の良い名文であった。
ところで、奉献用の特製本『易学大講座』というのは僅かに二部制作されたのみなのであろうか。
紀元書房の易書中、何故にこんなに粗悪な作りなのかと首をかしげたくなるような黄ばんだ大講座しか知らぬ庵主は、一目この特製本というのを見てみたく思うのだ。
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